はてなキーワード: 計算機科学とは
15年ほど前の話。
首都圏に住んでいてセンター試験過去問とか模試の成績は理系科目を中心に良かったけど、父親がお前の粗忽さではいずれ実験で事故を起こすといわれ文転。当時西田裕一とか富岡勝とかの仕事のせいで(もちろん当時そういう仕掛人たちのことなど知りもしなかったが)思想だとか哲学だとかが面白そうに見えた。香山リカの「自転車旅行主義」はイマーゴの連載で読んでいた。
ワープロは使っていたが、パソコンはたまにひとんちで触らせてもらう程度。
そういう狭い世界の偏りすぎたアンテナが拾い上げた情報によれば、千葉大に土屋俊先生という人がいて、なんかアメリカのCSLIとかそういうとこに行くような研究とかしているらしかった。他にも慶応の文学部でも面白いことができるらしいとか。
あげくわけあってずいぶん西の方の大学へ行って、パソ通(そしてすぐにインターネット)にはまって時間を浪費するいっぽう(聖トマス・アクィナスが「チャットルームに入り浸るな」と仰っていたことを当時知っていたら!)みすずだの勁草だの法政だのNTT出版だのUPだのから出る高価な訳書ばかりを買って読んで勉強した気になって、ちょっとだけ英語でRortyを読ませてもらい、そして哲学へ行くにはドイツ語もできず喰いっぱぐれる覚悟もないので駄目だと判明して、社会学を選び苦し紛れに名ばかりの卒論を書いて、書いたので力尽きた。学歴ロンダリングのために日本の最も古い都のそばにある大学院にでも行って計算機科学で修士号をとろうかとも考えたが齧るスネにも限りがあった。そのままフランス語の単位を一コマ残して一年留年し、価値のない学士号をもらった。GiddensもDurkheimも1ページたりとも読んだこともなく社会学士を名乗るのはおぞましすぎる現実。だれかさんの挑発的なタグを借りれば「足手纏いな大卒就職組」の典型。
もちろんそんな奴が偽社会学を流布して世の中を騙すことはできない。その程度にはこの世はよくできている。
このとき齧りすぎたスネはその後折れてしまった。NYCに旅客機が特攻爆撃をやらかして数年後、家族は崩壊。経済破綻からではないが、教育投資のリターンが期待はずれだったことによる影響は否定しがたい。退職金を手に出奔した父はぼけてろくに介護も受けられず孤独死でもすればいいと思うが、自殺した母にはどう詫びたものか言葉もない。
今の人生には満足しているが、およそ学校というところで何も学問をしなかったことは今も悔いている。机の上には開いたこともないシカゴマニュアルの14/eが未練がましく置いてあるのだ。そして年一回は『職業としての学問』を読んでウェーバー先生、私はだめな奴です、とつぶやくのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090202224457
http://anond.hatelabo.jp/20090202224416
めんどくさすぎる…
俺は計算機科学は好きだけどコンピュータはたいして好きじゃないんだよおおお
ああ…
どうかなあ、C覚えるのは教養の幅も広がるし潰しも利くぜってのが発端だからなあ。
最もやりたいことに向いている言語を覚えたほうが早いってのはその通りだと思うんだけれども。定食屋で働きたいから、そこで使われてるクイジナートの使い方を覚えとけば良いよねってのはその通りだと思うけども。なんとなく違うよーな。
ちなみに、javaVMについて通り一遍のことはやっても、中身バラしたりはしないんじゃないかなあ。
今大学の講義でコンパイラ作ってみてるのって数えるほどじゃない?あの手の仕事では絶対にやらないだろうけども面白くって為になって感動できる講義が増えてくれないと計算機科学に魅力を感じてくれる人は減る気がする。もったいない。
ソフトウェアにおける車輪の再生産を防いだりするような標準化機構を国同士が連携して作れば防げるかもしれない・・・。
あと、こういう極度な車輪の再生産の防止が行われた場合どういう弊害がおきるだろうか?
また、「車輪の再生産」の車輪とはどのことを指しているのだろうか?
MacやWindows、LinuxはOSというスタイルの違う車輪なのか?
「その車輪が今までとは違う何かである。そして、その何かはより進歩したものである。」
これを決定づけるのに、ある種の権威に依存しているのではないか?
高名なプログラマがああ言ってた、高名な計算機科学者がこう言ってたから。とか。
本当に自分でそれが解せたのか?
それにしても、いつから車輪の再生産についてこんなに言われるようになってきたのだろうか?
そもそも、このような議論をするために計算機はできたのだろうか?
あえて釣られてみる。
東大に入れば幸せかどうかはわからないけれど、すごく部分的なところを除けば、東大理系よりもいいところなんてないですよ。
予算は潤沢で、年度末に学生が余ったお金でおもちゃを買うみたいに研究室の備品を買ってるところがほとんど。
まぁ、そのへんは科研費がどのぐらい東大に行ってるかを調べてみればすぐわかる。企業からのお金なんてたかがしれてるしね。
旧帝大系でも、東大の先生が科研で取ったお金の一部をもらって研究してたりというのは普通にやってるよ。
もちろん、お金と質は関係ない、という主張があるのもわかる。けど、現実はお金のあるところに質の高いものは集まるんだよ。お金も職員も。
ただし、東大で教授クラスになると政治的なものが(他の大学と比べても)多くなって、研究にはついて行けなくなると言うのは事実。それでもみんな感覚は一流。
まぁ、当方計算機科学/工学の職員なので理系といっても全部がそうとも限らないだろうけれど、でも、同僚の教授とかと話してる限りは他の学科もそんな感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20070801204512
たまに計算機科学について、院生顔負けの議論ができる高校生というのはいるけれど、確かに全てを知っている奴なんてのはいない。学部で学ぶことは膨大であり、当の学部生でさえ半分も憶えていないもの。
ちなみに、C言語を習得するための授業は全体の64分の1です。64は半期で受ける授業を8とし、4年間を通じて8*8=64と計算しました。
Cというものは授業で学ぶもんじゃないよ。プログラミングは全体的にそういう傾向にあるけれど、その中でもCは最たるものだ。あれほど懐の深い言語はそうそうない。Cをマスターしたと自認していて、しかも失笑を買わない人間が世界中で一体何人いるだろう。
定義が明確に一致しないものも含んでいます。
どれもこれも20世期末以降に出てきたものだと記憶しているけれど、なぜなんだろう。他にも思い付いた人は書いてくれるとうれしいです。
まあそうなんですが、貧困層のうち働いている人はワーキングプアかと思います。どこかの在日なんたらのように17万も貰っていたら貧困とは言わないでしょうし。
自分はケチなプログラマーなんですが、そろばんや歯車式計算機しかない時代ならともかく、現在では日本語の「計算機」と英語の "computer" は同じ概念かと思います。 computer science の邦訳が「計算機科学」だったりしますし。
あと人形とフィギュアの違いが解りません。バービー人形はフィギュアじゃなかったり、アルクェイド・ブリュンスタッドの完成品フィギュアは人形じゃなかったりするんですか?
最近、自分の周りの修士の後輩たちがドクター進学を希望する割合が下がっているように思う。それも優秀な人に限って。
話をしてみると、卒業したあとの進路に博士学位を取ることのメリットを感じられない、というのもあるし、
逆に、本当に必要な職種だったら、社会人博士としてとれるはずだと考えているのもあるみたいだ。
たしかに、彼らぐらい頭が良ければ、社会人として博士学位を取ることは難しくないだろう。
しかしそれはつまり、大学で研究をする、という環境に魅力があって博士課程に進むわけではなく、
あくまでも必要とされる資格だからあとから取る、ということなんだよな。
それに、計算機科学の分野だと、大学の研究よりも企業での開発の方が面白いというのもよくわかるし。
自分も、博士課程の魅力は少なくなっていると思うから、強くは進学を勧めない。
・・・一方で、優秀ではない人に限って進学したがるのは、本当に勘弁して欲しい。
そういう人に限って、自分の価値を高めるには学歴・学位しかない、と思い詰めてるから、精神的に追い込まれやすいしねぇ。
博士に行くなら、学位取れなくて元々、でもそれ以外の何かを得る、というつもりで行くのが
一番幸せだと思うよ。