はてなキーワード: ぼくらの七日間戦争とは
現場で実際にどんな感じで本を買ったり捨てたりしているかを書いてみます。
ボランティアのお母さんたちが手伝っている所もあります。
それは化学に置いちゃダメ! - 子育て歳時記 - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/honbon/diary/200905110001
小学校から『ぼくらの七日間戦争』が撤去されたそうだ。 - 北沢かえるの働けば自由になる日記
http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20090515#p2
うちの学校にはどちらも入ってません。
水からの伝言は論外、七日間戦争は私が勤めた時に入っていなくて、
今が旬の児童向けの文庫を優先的に入れたいな、と。
うちの学校は本を買う、捨てるの判断は司書教諭の先生と相談の上、
校長・教頭に許可をもらってさらに市の決済を受けます。
・・・そんなわけはありませんW
国語なら掲載されている作者の他の作品や同じ傾向の他の物語など。
そんな学習に関する本と趣味的な本、読書をバランスよく入れるように心がけてます。
捨てる場合はあまりにも壊れたり汚れた本、
内容が古くなって学習に使えない本(市町村合併やら国の独立やらで結構これが多い)など。
でも本の冊数を増やせというお達しがあってそんな本を捨てられず
段ボールに詰めてしまっておくことも。
校長の一言で本が捨てられるか?
これはあるともないともはっきりは言えません。
ただ、幸か不幸かそこまで学校図書館に興味を持っている校長はほとんどいません。
そんなことがあったとしても学校の方針に意見を言う事は難しそうです。
今の小学生は「リアル鬼ごっこ」とかひぐらしとか携帯小説なども
お小遣いで買って友達同士でどんどん回し読みしてます。
昔ほど大きな影響を与えているとは思っていません。
ただ、いろいろな問題があって本に触れる機会が少ない家庭の子も多くいますし
どこの学校にもあればいいのに、と思いながら仕事をしています。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1016819.html
ぼくが小学生中学生だった頃(10??15年前。90年代だ)にこのテのケータイ小説が出回ったとして、
ぼくらはきっと読んだと思うし、それなりに流行ったと思うし、それの感想は
子どもはまず「リアル」という言葉の意味を知らない。「リアル」の元になる現実的な経験をしてない。
ぼくは風景画や理科の図を描くのが結構上手かったんだけど、友達が最大の賛辞として使った言葉は
いずれも「リアル」「細かい」だった。彼らが言う「リアル」とは、せいぜいその程度のものだ。
「GTO」「池袋ウエストゲートパーク」の方が「リアル」だ。
その対義語は「古臭い」「親父臭い」である。成人のそれと意味合いが異なる。
そして「感動」という言葉の意味を知らない。現実に「感動」などしたことがない。
ぼくの友達(今は写真家として仕事をしている)が中学の授業で絵本を作ったのだが、
それは10ページくらいの絵本であり、台詞しかなく、主人公は鬼で、ぼくはなんで
鬼なんだろうと泣いているところに、蝶がやってきてあなたは昔わたしを蜘蛛の巣からとってくれたのよ、
と励ましたら、鬼は笑顔になったという筋だった。だれもが「感動した」とコメントした。
彼らはこういう「いい話」を読んだ、という気分に「感動」と名づけているに過ぎない。
その対義語は「いい話ではない」である。成人のそれと意味合いが異なる。
それから「読みやすい」というところだ。細かい風景描写などそもそも書いてあっても読まない。
話の続きが気になるのだ。行間から複雑な心境を読み解こうなどと思わない。そもそも複雑な心境を知らない。
曖昧に書くくらいなら「複雑な気持ちだった」と書いてくれればそれでいい。
朝昼夜と、都会か田舎か外か中かがわかればいい。台詞だって難しく書かなくていい。それこそ行間から想像できるところだ。
大体、子どもは昔々の物語なんかどうでもいいのだ。もっと世間や社会のことが知りたいのだ。
小学生は中学校のことが知りたいし、中学生は高校のことが知りたいのだ。東京の同年代の生活が知りたいのだ。
だのに国語の教科書も推薦図書も、こんなガキいねーよっていう、子どもの目から見ても
オッサンの時代の子どもの話(しかも幻想、妄想)だろ、といったズレたものしかない。
で、あるよ、君にぴったりなものが、といって実際に本を手渡してくれる大人がいないのだ。
大概の大人は「大人が読ませたい本」しか与えない。実際に与える大人ならまだいい方だが、大体は知らないし、与えない。
良識ある大人は何も子どもが欲しいと思っているものを与えてくれない。子どもを使って商売をしようと思ってる大人だけが、
欲しいものを与えてくれるのだ。代わりのものも与えられないくせに、罵倒して放っておいて大人面されれば、
そりゃー大人ウゼエって話になるわな。
それと、ケータイ小説の作家は女子中高生である。要するに、大人がくれない甘いものを自分で作ってしまったのだ。
というよりも、中高生にとって至上のご馳走である「おしゃべり」がケータイ文化と商売に乗っかっただけで、
彼女たちがやっていることは昔と大差ない。ケータイ小説は、読書よりも会話・おしゃべりに近い。
誰と喋っているか。「(想像上の)リアルな東京の同年代の中高生」である。(だから、変な文法も気にならない。)
多分もっと言うとmixiや2ちゃんねるはもっとリアルだって感じると思う。