心身の元気が無いと、何かを決断するということがとにかくできなくなる。
すぐ始められてすぐやめられることは決断せずにできる。だからTwitterやショート動画なら元気が全然ないときでも見れる。
一方で、すぐ始められないし、一度始めたらすぐにはやめられない、まとまった時間を割かざるをえないことは「やる」と決断しないとできない。
風呂はこの最たるもので、最初に服を脱ぎ、最後に体を拭くというそれなりに大掛かりな動作が必ず要求され、なんとなくちょっとだけという気持ちでは絶対に始められない。よって、決断を下す元気がないと風呂に入ることはできない。
読書は一応すぐ始めてすぐやめることが可能ではあるものの、ちゃんと文章を理解しようとするとある程度の集中は絶対に必要になる。よって自分の集中力を本に向けるぞという決断が読書を始めるのには必要なわけで、疲れているとその決断ができなくなる。
そして毎日くたびれている我々は、気付けばなんとなくちょっとだけという気持ちで決断なしで始められることにばかり時間を使ってしまう虚無の日々を過ごすのである。
今はてなを見てるお前もそうなんだろ?
🐊「オッ…オレに聞かんでくれえッ‼︎‼︎!」
なぜ心身の元気が無いと風呂に入れなくなるのか