2023-07-09

誰かと分かりあうということ。おやすみプンプンを読んで

浅野いにおによる、おやすみプンプンという漫画がある。

これを高校2年の夏に読み、この夏、再び読むことになった。

誰かと分かりあうということ、とはどういうことだろう。

それはスイッチONにする作業のように、明確な手応え(や、フィードバック)があるわけでも、

その機能保証されているわけでもない。

しばしば人間は、断絶をエンタティメントやコミュニケーションとして用いる。

一方で、分かりあうということは二人称的な問題であるために、

客観的に見て評価可能ものではない。

僕が147話分を読んで感じたことは、時間は具体的な課題は何も解決してくれないが、課題に対して曖昧さをもたらしてくれるということだ。

そして曖昧さによって、誰かを許すことができる。

鹿児島に行く」という約束は具体的な形を保ったまま、プンプンと愛子の中で、

冷凍庫の奥で忘れ去られた小さなアイスのように、形を変えずにそこに存在し続けていた。

二人の間で決定的に異なってしまたことは、愛子はプンプンと"分かり合えてしまった"が、

プンプンは愛子と"分かり合えなかった"ということなのかもしれない。

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