その増田文学は支離滅裂で、内容に乏しく、寧ろ何も書いていないに等しかった。
その他の有象無象な増田との違いは乏しく、下手な文章とデタラメな構造は三文小説以下だった。
他の有象無象の増田文章と唯一異なっていたのは大量のブクマを得ていることのみだった。
誰にもその理由は分からず、内容のない内容の増田を理解しているようにも思えなかった。
ブクマは千を越えた。
何故だろうか。誰にもわからない。
ブクマは二千を越えた。
三千を越え、四千、五千にまで到達すると他のプラットホームも増田を大々的に取り上げ、ネットニュースも増田を記事にする。
ブクマは六千を越え、七千に近づいたところでKindleから声がかかり、書籍化の話が持ち上がる。
発売されると売上は乏しく、しかしじわりじわりと売上を伸ばしていく。
発売二ヶ月後にベストセラーとなりランキング上位に名を並べると増刷が決まり書店に山積みとなって並ぶ。
人々はそれを手に取りさらに売上を伸ばし、内容のない内容の増田は誰に理解されることもなく理解される内容もないままに内容が評価されていく。
増田は芥川賞を受賞し、中身のない増田は空洞の内容の構造が素晴らしいと評価を受け、さらに売上を伸ばしていく。
後年、内容のない増田の増田は内容がないことが内容となって大衆に受け入れられ、内容のない増田を研究する人々は一応に内容がない増田の中身を評価した。