音や絵を言葉で語るのって無粋な気がして、芸術を体系化するということに忌避感を抱く。言葉では描き出せないものを頭から取り出したいからこそ、そういった媒体に乗せてるんだと思うから。
もちろん芸術表現にも方法論といったものはあって、全ての表現者はその巨人の肩に乗っているのだろうけど。
でも受け取る側にしたら、プリミティブな感性でガツンと衝撃を受けるような作品の存在にどこかで期待している。作品の舞台裏を覗いて、こんな事があったのか、と驚嘆するのではなく。
美術館の絵を観て、これ凄いのかな……?凄いん……だよね……?と顔を見合わせる。音声ガイドの解説を聞き、なるほどこの絵はここが凄いのかと知って絵を再び見た時の気持ちは、果たして感動なのか。名作の名作たる所以を知る答え合わせの快感なのか。
素朴な感覚として芸術は感性に訴える営みだと思っているけれど、どこかでかくあるべしと決められた素晴らしさを感覚が後追いしている節も少なからずあるんじゃないかって思う。