具体例としてゆたぼんの親が思い浮かぶが、ゆたぼんやゆたぼんの親のことは詳しく知らないので、あくまで「子供を学校に通わせたくない親の気持ち」という抽象について考えてみたい。
この話をするうえで反出生主義の中核をなす命題「人類の総苦痛量を最小化するべき」は補助線になると思う。
学校教育現場に小さなイヤなこと(掛け算の順序、前近代的なスポーツ指導)や大きいイヤなこと(いじめ、教師による淫行、死亡を含む重大事故)など、いずれにせよ苦痛が存在することは周知の事実なわけだ。
ということは子供を学校に通わせることは確実に子供を苦痛にさらすことになる。
子供を苦痛にあわせるのは悪であるから、学校に通わせるべきではない。
という具合に、反出生主義は出生以外のものごとに応用することが可能な理論なのだな。
まあ子供産んでる時点で反出生主義者ではないので、たいていの親は子を学校に通わすわけだが。それだけに、ゆたぼんの親は稀有な例といえよう。