2021-12-19

人は物語でないと物事を上手く理解できない。

物語存在する理由ほとんどはそのことに起因する。

なぜ聖書という形にして信仰理由説明しなくていはいけないかも同じだ。

人は物語により物事理解する。

ゆえに逆説的だが自分の心の中で物語創作するもの

その物語の中に自らを閉じ込めることになる。

人と人との誤解などというものは結局はそういうことだ。

良い感情も悪い感情物語から始まる。

そのことは心に留めなければならない。

さらに言うなら私達が自らの人生と思い込んでいるもの

ひとつ物語信仰することによる。

別に昨日のあなた今日あなたが同じである必要など無い。

社会的必要である事柄ならば仕方がないが

そうでなければ、

例えばあなたの心の中の政治的心情なんて

誰にも覗き見ることは出来ないのだから

整合性なんてとれていなくても全く問題ないし

実際のところ整合性なんてとれていない。

しかし、私達はそのようには感じない。

自らの物語の中に囚われているからだ。

その物語を書き換えるためには新しい物語必要とする。

そういうものだと思う。

これが正しいかどうかはわからない。

が、いくつかの真実は含んでいると思う。

しかしそれでも多くの人はこの話を上手くは理解できないだろう。

なぜなら、この話は物語ではないからだ。

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