学校の授業なんて他人のペース(生徒の主観で教師のペース)に乗らないと置いて行かれるんだから、自分のペース(理解)なんて重視してたら小学生で詰むだろ。ヤンキーマンガで主人公がヤンキーに「なんでお前ら授業が嫌いなんだよ」「だって訳わかんねーのにどんどん進んで~」ってのがどれだけある?だからといって塾にいくわけでも家庭教師雇うわけでもなく復習もしない、ならば理解にどんな意味があるよ。
「~てのがどれだけある?」を反語として解釈すると「だからといって」にどうつがなってくるのか分からない。
「ならば理解にどんな意味があるよ」単に直前の文から、復習しない人間は勉強内容を理解する必要性もないと解釈することもできるが、むしろ「ならば」はもっと大きな文脈に制約されているように思える。しかし「だからといって」のニュアンスが読み取れない以上「ならば」のニュアンスも読み取れない。これも言葉のサラダに足を突っ込んだ文章に見える。