身近に「自分が気に入ったもの」を褒める時、「類似の違う種類のもの」を貶して、
「こっちのこういうダメなところがない、だからいい!」という褒め方を頻繁にする人がいて、
常々「好きなものを褒めればいいだけなのに、別のものを貶す必要性あったんか……?」と思っていたんだが、ある日気がついてしまった
その人は団子を食べていて、それは気に入った店の団子のようだった
だから褒めようとしたんだと思う
だが出てきた言葉は「こげくさい」だった
「こげくさくて、うまい」と
は?と思った自分は「香ばしい」と言いたかったのかと聞いて、本人は「ああ、そう、そう」と頷いた
「言葉が出てこなかった」と笑っていた
そうか
「普段別のものを貶すことで、『褒める』を行っているから、「自分が感じた良さそのまま」を表現する語彙がスッと出てこない」のだ
脳の中で、貶し言葉の方が手前にあって、それが口から出てしまう
これは恐ろしいことだと思った
もしこれを「褒めようとした誰か」の前でやってしまったら、不快な思いをさせてしまう
「良いと感じた」という意図がまるで伝わらない コミニュケーションにおける大失敗だ
しかも、普段話さない様な人だったら、その誤解が一生解けないかもしれない
自分が「褒めたい」と思うような人と、すれ違って決裂してしまう
「団子こげくさい」の本人が、然程深刻に捉えていないのが輪をかけて恐ろしかった
今まで「別の何かを貶しながら支持を表明する感想」は、その時その時に「どういう言葉を選ぶか」の問題と思っていたが違う
だから、普段から「自分が思う良いものの良さ」をストレートに表現する練習をしておかないとやばい
人との会話でなくてもいい、日記でもいい、とにかく「アゲる」表現を、語彙を使って、自分の「手持ちのカード」にしておかないと
咄嗟に出てこない
本当に使いたい言葉が、本当に使いたい時に出てこなくなってしまう
自分も気をつけないと、と身震いする思いだった
だから褒めようと思う