2021-04-14

欲しいものリストから贈ったけど、実は邪悪行為かもしれない

ふと欲しいものリストから贈りものをしようと思った

何の前触れもなく、Twitterで後悔されている「#欲しいものリスト」のハッシュタグを見て贈り物をしてみようと思いたった。調べてみたら、完全に匿名で贈ることができるらしいと分かった。何で贈ろうと思い至ったのか思い出せないけど、なぜかやろうと思った。

「日々つらい、もう嫌だ」といったことを言っている人に、ちょっとしたサプライズで「今日はいいことがあった、世の中捨てた物じゃない」と思ってもらえたらなんて考えたのだ。

贈るなら高くないものがいい

欲しいものリストを眺めてみたのだけど、生活に困っている人を装った詐欺転売の人かもしれないと気づいた。何か生活に困っているというわりに高級品を求めているリストがあった。100円ショップで買えそうな物を割高で求めている感じとかをみると、何かおかしく感じる。

実は困っていない人が日銭を稼ぐためにやっている詐欺可能性もあるので、できるだけ生活用品でかつ市場価格的にも妥当ものに絞ってみた。

贈って、届いた通知を見た後に感じたこ

対象の人のTwitterをみたら「誰?ありがとう!」というツイートが流れていた。届いてよかったと思ったと同時に、後悔の念がわいてきた。ひょっとしたら私はとても邪悪なことをしたのかもしれない。

今後この受け取った人が「また誰かがくれるかもしれない」と期待し続けて待っていたとしたら、届くことのない贈り物を待ったのは私のせいかもしれないのだ。案の定、「xxも欲しい」といったツイートが流れているのを目にした。次は何か違う気がしてそっとTwitterを閉じた。

「やらない善よりやる偽善

昔こんな言葉があった気がする。何でみたのかもう忘れたけど、私のし偽善はやらない善よりも良いのかもしれない。

日々コロナ禍で大変だけど、誰かが少しだけでもうれしく思う、そんなことができたらいいな。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん