さんまを食べました。昔よりずっと高くなっても身がやせても、私はおいしいこの魚が好きです。はらわたも身も残さないように食べたので残った骨もきれいなものです。全部食べてくれてありがとうと骨が言っているように思いました。
スペアリブの煮物も食べました。どちらかといえばいっしょに煮た大根のほうが好きなのですが、ホロホロとした脂身もおいしいものです。骨に残った薄皮を歯でこそげとるのが一番好きです。最後の肉片までしゃぶらないとバチが当たりそうな気がしました。残った骨は骨って感じがしました。
日曜にはフライドチキンをテイクアウトするつもりです。軟骨をバリバリ食べたいと思いました。そして、たぶん、残った骨を見ても、何も感じないだろうと思います。何も語りかけてこないと思います。
人間の骨は焼き場でしか見たことがありません。その人の思い出よりも、大きさや太さや位置、つまり骨そのものへの興味が強くて、骨が語るとはまるで思いませんでした。よく知った人の骨だからでしょうか。
人が亡くなる事件が起きたとき、捜査員に骨が語りかけてくれることがあると聞きます。証拠としての情報ではなく、人の骨がもし話せるなら、何を語りかけてくるのだろうかと思いました。
うみゃい!うみゃすぎる!