2020-11-05

主体じゃなくて、客体として描かれている」絵が多いよな。 ←これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4693752107293734658/comment/doas1999

言わんとしていることはわかるんだが、素朴な感覚としては絵に描かれたものって客体にしかなりようがなくない?

少なくとも視覚模倣画像として出力するタイプの絵において、主体ってのはその画像を見ている人のことであって、絵の中には存在することができないはずじゃん。

(だからこそどんなに女が女のためにつくった画像だとしても絶対に男の性的眼差しを完全に排除することはできないわけで)

私は美術に詳しくないので、以下のような疑問をもつわけ。

1. 美術において、描かれるものは客体であり、主体はその画像を捉えている人であるという認識はあっているか?(以下の前提の確認)

2. 主体を画面の中に存在させると言う試みはこれまであったか? あるならば、それはどのようなものであるか?

3. それは「主体」を描くことに成功しているか成功しているならば、どうしてそう言えるのか? 成功していないならば、絵で「主体を描く」試みが成功する可能性はあるのか?

3. なぜ絵を描く人は主体を描こうと試みるのか? あるいは、絵を見る人はなぜ描かれたもの主体であるということを読み取る必要があるのか?

4. これまでの疑問はすべて主体と客体を排反のものとして扱っているが、そこに問題を見出す議論はありうるか

5. 絵を見た人が「主体として描かれている」と感じているとき、実際にその感想が指している内容は何であると言えるか?

どうなんですかね?

詳しい人でも詳しくない人でも教えてください。

  • 素人の安直な考えだと鑑賞者自身を用いた現代?アート(鏡とか影とかプロジェクションとか)は主客同時に体現してるんだろうけど、絵画だと難しそうだよね

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