女に分類される生き物と、男に分類される生き物は互いに地続きで、どこかで切り替わるわけではない。
昔読んだ本に書いてあった。
「女と男はコインの裏と表ではなく、北極と南極のようなもの。その間に無数のグラデーションがある」
そうだ、その通りだと思った多感な自分は、女と男に違いなんてないと信じて育った。
しかし「中年」と呼ばれる年齢が迫ってきた今、多種多様な異性とのやり取りの中で、その違いを痛感することが多い。
男性的、女性的と呼ばれる思考は、ある程度存在し、それらは無条件に同性の中で共有されている。
もちろんグラデーションの途中に存在する人たちとも交流があったが、しかしグラデーションの向こうには確かに「極点」があるのだ。
そうした極点に出会った時、心では「いけない」と思いつつも、「男は〜」「女は〜」という言い方をしてしまう。
本当は嫌だ。性別なんてなくなればいい。みんなが電脳の世界で好きなアバターを着て暮らす世界になれば、偏見に侵食されずにいられるのに。
「価値観の違い」を性別に置き換えてしまう自分が嫌だ。中性的に、無性的に生まれれば単なる「価値観の違い」と言えたのに。
ああ、異性が嫌いだ。