最近の曲を聞いているとギターソロっぽいパートで速弾きっぽいメロディとか流れてもどうせ打ち込みなんだろうなって思うようになった。
昔はライブなんかでギタリストが前に出てきて速弾きをするとそれだけで盛り上がったものだけど、音源となってしまってはギターの速弾きには何のメッセージ性も感じられない。
そもそも楽器は人が鳴らすことが前提に作られていて、人が演奏できるものとして進化してきたのだけど、今や音はコンピューターが鳴らしていて、極端な話、ギターの音自体を使う必要自体がなくなったということになる。
言い換えれば音そのものを自由に作ることができるようになった今の環境下において、楽器の音を使うという意味がノスタルジー以外にないということになってしまう。
何もギタリストに限った話ではないのだが、速弾きを打ち込みで聞いていると一生懸命に練習していた人たちの努力が無駄なもののように感じられてしまった。
ある一定の議論だけど いまのギターをひいっている2020現在のギタープレイヤーがクソだというぎろんと 世の中にギタープレイヤーがいないとさびしいという議論は同じようで別だ
タイトルをさ「速弾き」にしなよ 速弾き以外のギタリストだっていっぱいいるのはわかってんだろ
そこで動画配信ですよ
打ち込みっていってもキーボードを弾くみたいにこれというタイミングでボタンを押す感じなので、演奏みたいなもんらしいよ
だから「これというタイミング」を演奏という行為の中でリアルタイムに決める意味がどこにあるわけ そんなんDTMで打ち込む時にいろんなパターンを試して比較した上で最も良いタイミ...
そりゃ観客の反応とかから、タイミングやバリエーションを選択するんだろ。
人間が楽器を演奏することの意義を求めているんなら、クラシックのピアノ独奏曲とか聞いてみたらいいやん。 楽譜通りに弾くのが一番きれいかと思いきや、作曲者周年量産 CD は全然だ...