解消したいと願うときに、その本人はじゃあ自分の好みとは違う人をパートナーとして選ぶべきなんだろうか?
「男性至上主義は許せません。それとは別に私この年収三千万強権社長ムキムキ男根マンが好きです」とか
「人は見た目じゃない。美醜で人生が決まるとかあってはいけない。それはそれとしてこの人めちゃめちゃ美人で
周りにも自慢できるから好き」というのは、ありなのかな、なしなのかな。
実際こういう風に口には出さないけど、多かれ少なかれこういう傾向はどうしても多くの人に出てきちゃうよね。
でも、差別とか社会の傾向って、個々人のちょっとした性向とか嗜好とかと相関してるもんだと思うから、
「個人の気持ちはそういうもんだから仕方ない」だけで済ませちゃっていいものなのかなとか。
こないだマッチングアプリであった人、とてもかわいそうだしパートナー的な人がいないと生活もきついんだろうな、
という感じだったんだけど、どうしても性愛につながるものが自分的に見出せなくてお断りして、なんか、
つらい。
エマ・ワトソンもそれで叩かれてたな 不当な差別は許さないの不当とはどういう扱いなのかを決めなくちゃいけない
分け隔てなく異性と接することにしていたら、結果的に好きになった人がたまたま年収三千万だったとかアイビーリーグ校卒だったってことはある ランダムに異性を選んでもゼロコンマ...
当人の自認がどうであっても好み自体がマッチョイズムやルッキズムに裏付けられてね?ってのは問われ続けるのは仕方ないよ 昭和生まれのオッサンがいくら自身は女性差別主義者では...