2020-01-10

親切の敷居を下げたい

東京の駅で慣れないエレベーターに戸惑ってるようだったので誘導して降りる階も聞いて押してあげた婆さんが何故か降りるとき俺を怪訝そうな顔で見ながらおしのけるように出ていった。きっと慣れない都会で不安だったのだろうそれくらい警戒心が強い方が安心

電車で斜め前にいたお年寄りに席を譲ろうと立ったら目の前のオッさんがササっと座ってしまった。あの人に譲るんですと言いたかったがなんとなくタイミングを逃して譲るつもりだったお年寄りの隣に立つ格好となり、そのお年寄りに(いや立つなら私に譲れや)という顔をされた。一瞬でも期待をさせてしまたかと思うと申し訳なかった。

駅のホーム外国人女性スマホをいじってる時にSuicaらしきカードを落として気づいてないようだったので拾ってあげようと身をかがめたらハッ?みたいな顔でビビられた。足下だったので拾うのではなく声だけかけるべきだった。

こういう事は稀で、ほとんどの場合わかりやすい親切をすると大抵の人からありがとうございますとか感謝される。自分はそういう事はごく当たり前のことでもっと普通のこととして受け入れられる世界がいいなと思っている

なんか困ってそうな人がいたら反応する、それは普通のことだからお礼なんて必要ない。

から上に書いたようなちょっとえ?ってなるようなそれくらいの反応の方が心地よい。良い事をしたなと思わずにすむから気が楽だ。

もっと親切の敷居を下げたい。

  • でもキモくて金のないおっさんが困っていても見て見ぬふりをして都合よく忘れながら自分は親切な人間だと思いこむんですよねわかります

  • 機能的価値だけ見たら、たいていのことはコンビニで十分だからな 感情的価値を重視する人が少ないから

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