2019-07-03

anond:20190703153054

『わカンナいホうガいイ……』

 

すでに兄の声では無かった。兄はそのままヒタヒタと家に戻っていった。

 

僕は、すぐさま兄を真っ青にしたあの白い物体を見てやろうと、落ちてる双眼鏡を取ろうとしたが、兄の言葉を聞いたせいか、見る勇気が無い。しかし気になる。

 

遠くから見たら、ただ白い物体が奇妙にくねくねと動いているだけだ。少し奇妙だが、それ以上の恐怖感は起こらない。

しかし、兄は…。

 

よし、見るしかない。どんな物が兄に恐怖を与えたのか、自分の目で確かめてやる!

僕は、落ちてる双眼鏡を取って覗こうとした。

 

その時、祖父がすごいあせった様子でこっちに走ってきた。

僕が『どうしたの?』と尋ねる前に、すごい勢いで祖父

 

『あの白い物体を見てはならん!見たのか!お前、その双眼鏡で見たのか!』

 

と迫ってきた。僕は

『いや…まだ…』

と少しキョドった感じで答えたら、祖父

『よかった…』

と言い、安心した様子でその場に泣き崩れた。

僕は、わけの分からないまま、家に戻された。

 

帰ると、みんな泣いている。僕の事で?いや、違う。よく見ると、兄だけ狂ったように笑いながら、まるであの白い物体のようにくねくねくねくねと乱舞している。

僕は、その兄の姿に、あの白い物体よりもすごい恐怖感を覚えた。

そして家に帰る日、祖母がこう言った。

 

『兄はここに置いといた方が暮らしやすいだろう。あっちだと、狭いし、世間の事を考えたら数日も持たん…うちに置いといて、何年か経ってから田んぼに放してやるのが一番だ…。』

 

僕はその言葉を聞き、大声で泣き叫んだ。以前の兄の姿は、もう、無い。

 

また来年実家に行った時に会ったとしても、それはもう兄ではない。

 

何でこんな事に…ついこの前まで仲良く遊んでたのに、何で…。

僕は、必死に涙を拭い、車に乗って、実家を離れた。

 

祖父たちが手を振ってる中で、変わり果てた兄が、一瞬、僕に手を振ったように見えた。

僕は、遠ざかってゆく中、兄の表情を見ようと、双眼鏡で覗いたら、兄は、確かに泣いていた。

表情は笑っていたが、今まで兄が一度も見せなかったような、最初最後の悲しい笑顔だった。

そして、すぐ曲がり角を曲がったときにもう兄の姿は見えなくなったが、僕は涙を流しながらずっと双眼鏡を覗き続けた。

 

『いつか…元に戻るよね…』

 

そう思って、兄の元の姿を懐かしみながら、緑が一面に広がる田んぼを見晴らしていた。

そして、兄との思い出を回想しながら、ただ双眼鏡を覗いていた。

 

…その時だった。

 

見てはいけないと分かっている物を、間近で見てしまっただけの人生だった。

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