世の中色んな人がいるから、たまに心の底から優しくてなおかつ賢いという人もいる。
一見好ましいことかもしれないが、この2つが両立してしまうと相当生きづらい。
何故なら、社会の多くの人はこれらを両立しないものと思い込んでいる上に、それらの性質を無条件に肯定しないからである。
では、社会において賢くて優しい人たちがどのように振る舞うかというと、
まず、賢いということを意識させすぎると大概の人はコンプレックスから不機嫌になる。
十分賢いとバカのふりぐらいできてしまうわけだが、それなりにストレスもたまるし、バカのふりをするためにより賢くなるのに使えたリソースも消費される。
また、優しいということも意識させすぎると大概の人はそれを媚びていると感じて不機嫌になる。
彼らは賢いからさも常に自由に振る舞っているようなふりをして周りを常に気遣っていることを隠す。
十分優しいと相手に気配りしていることを感じさせないように気を配ることもできてしまうが、このような親切は社会において評価されず、本人の自己肯定感を下げる。
結果、賢くて優しい人たちは疲弊して、多くの場合賢いことと優しいことの両立を諦めてしまうわけだ。
そして、世の中の多くの人は「賢い人は性格が悪い」とも「優しさには裏がある」とも固く信じているわけで、
それもあながち間違いではないから、賢くて優しい人たちがありのまま活躍できるようになる可能性は極めて低い。
ノブレス・オブリージュを阻害するのはあくまで「普通の人たち」なわけだ。
他人が嫉妬したってそんなの俺に関係ねーじゃん。 ただの他人の都合だろ? 嫉妬してくれなんて誰も頼んでねーし。 アホは無視しろよw