よく遊ぶグループにAさんという人がいる。
そのAさんが「誰も私と遊んでくれなくて寂しい」と言っている。
そりゃあ誰も遊んでくれなかったら寂しい。わかる。同情してしまう。
でもAさんが言う「誰も」というのは「誰でもいいからグループの誰か」ではなくBさんのことなのはもうみんなが知ってる。
Bさんは忙しい。
普通にお仕事があって忙しいというのもあるし、そのBさんという人は魅力的で一緒に遊んで楽しいからみんなが遊びたがる。
当然、そこで取捨選択が始まる。
そこで「Aさんと遊ぶ」という予定には低い優先順位が割り振られてしまうのだろう。
Aさんはまた「誰も(というのは建前で実際はBさんが)遊んでくれない」と言う。
でも、BさんがAさんと遊びたいと思うだろうか?
AさんはBさんに対して第三者から見えるだけでもかなり粘着している。
そして、BさんはそんなAさんに対してもうはっきりとわかるくらい辟易している。
もうすでに一緒に遊ぶとか遊ばないとかいうレベルではないようにしか見えない。
Aさんはついでにメンヘラを患っているものだから、「もうやめる」とか「消える」とかしょっちゅう言う。
なんならその原因にBさんを名指ししたりほのめかしたりする。
そういう人と遊びたいと思うだろうか。
もし仮にAさんのいう「みんな」がBさんのことを指しているのではなく、文字通りに「みんな」だったとしても遊んでくれる人は少ないと思う。
AさんはBさんが絡んでこない遊びは表面上楽しかったというけども、すぐ寂しいと言い始めてしまう。
仲間がよく集まってだべっているところに来たりもしない。だべっているうちに遊びの予定が立ったりするのに。
たまに来たかと思えば楽しそうな人たちに嫉妬して勝手に不機嫌になって帰る。
Bさんが遊びに誘ってくれるのをひたすらに待っているだけ。
対してBさんは一人でもいろいろと遊んでいるし、リアクションもいい。
だべっている場に来てそういうことを楽しそうに話してくれるからみんなもよく聞いている。
「今度〇〇いこうと思うんだけど誰か来ない?」みたいなぼんやりした誘いにもすぐに乗ってきてくれる。
「みんなが遊んでくれない」ってそりゃ当たり前だろって話だし、ましてやBさんとは遊べねえよっていう話なんだけど正面切って言う度胸がないんだよなぁ