2019-01-20

大学ボッチに1番向いてるのは茶道教室では?

大学ボッチが卒業して10年経って、通ってみて思った。

日日是好日小説にも書いてあったけど、茶道には自由がない。

ひたすら利休さんの境地を目指して、右足から入るとか、袱紗の扱い方とか全てが決まっている。

でも茶道をしてると、人より上手くなりたい、個性的になりたい、いいかっこしたい、そんな気持ちから自由になれる。

これって大学とは全く真逆からだ。大学自由だ。でも自由不自由である

行動、服装、色んなものを決めるのに、大学生とはこうあるべき、個性、人との差異、など色んなものに縛られなければいけない。

大学に馴染むには、承認欲求に縛られるか、他人の眼や世間体を気にするか、そういう人しか馴染めない気がした。

自由が礼讃される世の中で決まりごとは窮屈なイメージがある。

でもアドラー心理学承認欲求を捨て、共同体感覚を得るという感覚

それはなにか決まりごとがあってこそ、辿り着けるものだと、茶道を始めて実感する。

大学ボッチだった頃、友達がいないことを恥ずかしいとは思わなかった。

でも共同体感覚に飢えていた。それを茶道が今与えてくれる。

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