ひたすら利休さんの境地を目指して、右足から入るとか、袱紗の扱い方とか全てが決まっている。
でも茶道をしてると、人より上手くなりたい、個性的になりたい、いいかっこしたい、そんな気持ちから自由になれる。
これって大学とは全く真逆だからだ。大学は自由だ。でも自由は不自由である。
行動、服装、色んなものを決めるのに、大学生とはこうあるべき、個性、人との差異、など色んなものに縛られなければいけない。
大学に馴染むには、承認欲求に縛られるか、他人の眼や世間体を気にするか、そういう人しか馴染めない気がした。
でもアドラー心理学の承認欲求を捨て、共同体感覚を得るという感覚。
それはなにか決まりごとがあってこそ、辿り着けるものだと、茶道を始めて実感する。