弱者とは普通の人たちのことであるという概念というのも厄介なものだなと思った。
そうすることで弱者とされている人たちは少数ではないし、普通の人であるあなたも他人事ではないという論理を展開できる。
普通の人がいないと成り立たない世界だと言い換えてもいいわけである。
こうなってくると普通という概念に付き合わなくてはいけなくなる。
問題となるのは異常とはどういう状態かであるにも関わらず、普通とはどういう状態かということが問題になるのだ。
異常の状態と考えられるのは、私からみて考えることができるの対して、普通の状態と考えるには私から考えることができない。
なぜなら普通の状態を確認するときには、他の普通の状態を確認する必要があるのに対して、
異常の状態はそうではない。たとえば、自宅で火事があったときに、ほかの異常を確認する必要はない。
(もちろん、異常な状態か確認してくれといわれた場合は、ほかの普通な状態、異常な状態と比べる必要があるだろう。)
課金の問題であっても、異常な状態というのは課金システムの巧妙さからくるものであったりするのかもしれないが
普通の状態を問題にすると、つまりシロクマの記事のように多種多様な問題というのがでてきてしまう。
つまるところ普通の状態とは平均的なものになるだろうから、何もしないというのが正解として、正しい像として出てくる。
もし、あの記事が弱者が普通の人ではなく、弱者は自ずと弱者になるのだとするのであれば、
弱者にだけパターナリズムを適用するのであれば、弱者救済であり、
普通の人にパターナリズムを適用するのであれば、ファシズムである。
彼はそれをミックスさせた。