2018-12-27

弱者とは普通の人たちのことであるという概念

弱者とは普通の人たちのことであるという概念というのも厄介なものだなと思った。

そうすることで弱者とされている人たちは少数ではないし、普通の人であるあなた他人事ではないという論理を展開できる。

私は普通の人である、即ち弱者でもあるのだ。

普通の人がいないと成り立たない世界だと言い換えてもいいわけである

こうなってくると普通という概念に付き合わなくてはいけなくなる。

問題となるのは異常とはどういう状態であるにも関わらず、普通とはどういう状態かということが問題になるのだ。

異常の状態と考えられるのは、私からみて考えることができるの対して、普通状態と考えるには私から考えることができない。

なぜなら普通状態確認するときには、他の普通状態確認する必要があるのに対して、

異常の状態はそうではない。たとえば、自宅で火事があったときに、ほかの異常を確認する必要はない。

(もちろん、異常な状態確認してくれといわれた場合は、ほかの普通状態、異常な状態と比べる必要があるだろう。)

課金問題であっても、異常な状態というのは課金システムの巧妙さからくるものであったりするのかもしれないが

普通状態問題にすると、つまりシロクマ記事のように多種多様問題というのがでてきてしまう。

つまるところ普通状態とは平均的なものになるだろうから、何もしないというのが正解として、正しい像として出てくる。

  

もし、あの記事弱者普通の人ではなく、弱者は自ずと弱者になるのだとするのであれば、

それは自由意志パターナリズム問題で完結する。

弱者にだけパターナリズム適用するのであれば、弱者救済であり、

普通の人にパターナリズム適用するのであれば、ファシズムである

彼はそれをミックスさせた。

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