(謎ではないので)
観客にはウリ坊が見えウリ坊の声が聞こえ、美陽(白ワンピ)が見え美陽の声が聞こえる。
こいのぼりにいたずらしているとき温泉郷で働くおとなたちに美陽のことが、クラスでいたずらをしているとき同級生たちに、ケーキを買いに行った夜カラオケスナックのおばちゃんに、ウリ坊のことが見えていないときであっても、織子が認識しているとき、観客は視覚的聴覚的に幽霊を認識している。
他の誰に見えていなくても、織子に見えているとき、画面に彼らは現れる。
逆に物語の途中まで、彼/彼女を織子が認識していないとき幽霊たちはそこにいても画面には存在しないのだ。
過換気発作をおこした織子がポルシェから降りたとき、ウリ坊は彼女に言う。「ずっとおった」と。観客が「おった」ことに気付けなかったのは織子が認識していなかった間である。
木瀬(山寺宏一)の息子が石を落してトカゲをいじめようとしているとき、幽霊(美陽)はそこにいて石に干渉しているが、画面には写らない=観客には見えないし、その場に織子はいない。
途中まで、と書いたのは、あるところでその原則が終わるからである。
クライマックス前、織子にはウリ坊と美陽の姿が見えなくなり、声も聞こえなくなる。
画面にウリ坊と美陽が描かれているのに、織子には見えていない。
織子が幽霊を認識していないのに、われわれには幽霊が見えている。
その時、われわれ観客は誰なのであろうか?
(あとで書き換えます)