「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」です。従って、「じゃあリンゴへの関心よりブドウへの関心が少ないのですね」というのが本来の正しい理解であり、「じゃあブドウが嫌いなんですね」というのはいくら口調を丁寧にしても意見のねつ造に過ぎません。
比較対象に「全く未知のもの」を入れるとわかりやすいと思います。「あなたはアメリカとセントクリストファー・ネイビスのどちらが好きですか?」と聞かれて、「セントクリストファー・ネイビスです」と即答する人はあまりいないでしょう。しかし、それはほとんどの人が「セントクリストファーネイビスが嫌い」だからではありません。ただ知らないだけです。その証拠に、仮に「アメリカとセントクリストファーネイビスのどちらが嫌いですか」という質問をしたら、これも「セントクリストファー・ネイビスです」と即答する人はあまりいないでしょう。(※どちらかと言えば「その国のことはよく知らないが、どの国よりもアメリカの方が嫌いだ」という人ならまだいそうです。)しかしそれは、「セントクリストファー・ネイビスのことをみんなが好き」だからではありません。アメリカの方がよく知られているというだけです。
「好き」も「嫌い」も関心が高い状態で発生する感情であり、対立ではありません。それが対立に見えてしまうのは、その対象が相互に競争している場合(※ある対象を選好することが、排他的にもう一方の利得を失わせる結果になる場合。例:「好き」な野球チーム等)が存在するためです。
実際ブドウよりはリンゴの方が嫌いなのは事実でしょう。 その事実を指摘しただけなのに、口調を乱暴にすることでまるでおかしなことを言っているかのように演出するのは卑怯ですね...
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」です。従って、「じゃあリンゴへの関心よりブドウへの関心が少ないのですね」というのが本来の正しい理解であり、「じゃあブドウが嫌...