本来、愛国とか郷土愛ってものは、社会的弱者の心理的な受け皿になるものだったんだよ。経済的な受け皿とは別にな。
自分が所属してるコミュニティすげーー。俺の国すげーー、俺の街すげーー。だから俺も凄いんだ、って心理的なアイデンティティになるものだったんだよ。
そこに「実際はどうなのか?」なんて関係ないんだよ、受け皿なんだから。ともかく、自分が所属しているコミュニティに対するプライド、帰属意識、そういうものが帰属者の自信にもなって、破滅的な行為に対する枷にもなっていたんだよ。
「俺のコミュニティは大したもんだ」って思っていられれば、それが心理的に「自分の守る物」にもなれてたんだよ。
それを、ここ15年くらい、執拗に「日本スゲーは勘違い」だの「日本スゲーという発想の貧しさ」とかいってひたすら攻撃し続けて、徹底的にはぎ取ってきたのはお前らじゃねえか。
むしろ日本スゲーがやたら増えたのがここ15年だと思うが…
お前ちょっと図書館いって1960年代とか1970年代とかの新聞読んでこい
俺も弱者だ、何よ誇れるものがない だから、日本凄い=俺凄いっていう非論理的な連中を見つけ俺よりも低能な存在とみなし叩きまくる マウント戦争の中でしか自分を認められない