真剣に悩んでる人がいることはもちろんわかってる。子供が好きだったり、作りたいのにできないなら、そりゃすごく落ち込むと思う。でも、それをコンプレックスに感じることは無いんじゃないかなと思うんだ。
実はうちもしばらく子供ができなくて、夫婦で検査をしたことがある。結果は妻が少しだけできにくい体質で、タイミングみてセックスするようにしたら、程なく妊娠した。
検査するとき自分としてはなんの抵抗もなかったけど、妻は少しあったようだった。「子供を作ることができないのは、人として劣ってるような気がする」とも言ってた。当然このタイミングでは何かしらの原因があるのか、あるとしたらどちらなのかは分かってない。
そんな妻といろいろ話をしたけど、その中でも一番伝えたかった自分の想いは「産まれながら変えようの無いものを気にやむ必要はないよ」ってことだった。
幸いにも自分は五体満足に産まれて、家庭も特別貧しくはなかった。ただしなかなかブサイクだし、子供の頃はよく(30代の今でも時々)弄られる身体的特徴もあった。「そんなの私の悩みからしたら大したこと無い」と言われるかもしれないけど、思春期には相応に悩んだりもした。
でも、ある程度大人になってから思うのは、「そんなの悩んでも仕方ないわー」ってこと。真にコンプレックスとすべきなのは「自分がやればできるのに、やってこなかったからできないこと、劣っていること」なんだと思い始めた。
当然そんな風に割りきれないことだって多いと思うけど、変えられないことよりも変えられることを、自分が前に進められることを悩んだり、良い意味での劣等感と捉えた方がこの先の生活を豊かにできるんじゃないかな。
その後、わりとすんなり子供はできたから妻がどう受け止めていたかは分からない。
真剣に悩んでる人にはふざけんなって言われそうだけど、あえて言う。
がんばって釣り針作ったんだなあって感じ