2017-12-10

最北の街

いつからこの街はこんな風になってしまったのだろう。

旧「北海道」はロシアの侵攻を許し日本による統治を失った。

あれからもう10年が経つ。当時本土に逃れた日本人特権階級のほんの一握り。

残留日本人」と呼ばれる人々はロシアによる占領により帰国など許されることはなかった。

ロシア人による差別も珍しいものではない。しか残留日本人達はある程度の権利保障されていた。

残留日本人にはロシアから与えられた大きな義務があったかである

10年前、まだ日本として、北海道として北の大地が認知されていた頃には当たり前に流通していた、ある商品生産をすることである

ストロングゼロ

北の大地に残された日本人はただひたすらにストロングゼロ生産を続けた。それが彼らに許された唯一の生存戦略なのである

ロシア統治後に生まれ残留日本人二世。まだ幼い彼らを守るためにもストロングゼロロシア側に供給しなければならない。

今日ロシア人ストロングゼロを求める。

いや、ロシア人だけではない。

残留日本人達もまた遠くなった祖国を想いながらストロングゼロロング缶を傾けるのだ。

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