茶の間オタクの「行けないけど応援してます」を俳優宛や誰でも見られるところに書いちゃうのは私も嫌いだけど、それと同じくらい嫌いなのが数回〜そこそこの回数通うオタクの「全通だけが愛じゃない」「回数が全てじゃない」ってやつ。
全通だけが愛じゃないとは思うし、それを全通する奴がいうのはわかる。でも全通しない・してない奴がそれを言っても全通しない・できないことの言い訳にしか聞こえない。それを表に出さなきゃどうでもいいんだけどツイッターやはてなブログで主張してるのを見ると「何言ってんだこいつ」と思う。行かないんだか行けないんだか行きたくないんだか知らないけど全通しないんだろ?なに言い訳してんの?いろんな事情や都合があるのはわかるよ。優先順位もあるよね。でも「全通だけが愛じゃない」って全通しない自分の正当化はなんなの?見苦しくない?全通だけが愛じゃなくて他にどんな愛を示してんの?茶の間で応援の念を送ってんの?行けないけど応援してんのか?
「全通してまだたくさん観るからいいやって集中できなかったり寝る人よりマシ」とかいう意見も見たけどなんで自分を正当化しつつ全通してる人がみんなそうみたいな書き方してんの?毎公演楽しい全通もあんだよ。お前の集中力かお前の推しの演技がお前の推しのところがとってくる仕事のどれかに難があるだけだよ。かわいそうに。
全通するもしないと応援スタンスの違いだから責める気もないしどうでもいい。「全通だけが愛じゃない」って表に出して自己弁護してる奴が嫌なだけ。全通だけが愛じゃないって書くなら他にどんな形で愛してるのかまで書いたらどうですかね。
クッソどうでもいい話なのにわかりみだけあって草
「全通だけが愛じゃない」は正しい つまりお前は正しいことを言えるのが一部の人間だけだと主張している 頭おかしいつうか有害だな 死ね
あー、これもしかしてこの前の「結婚だけが幸せじゃない」ってやつの改変コピペ?