これらはどちらも日本人が持つ信仰のメカニズムが根本にあるからだ。
聖職という言葉が示すように、ある特定の職業や立場にある人間に対して徹底的に穢れを嫌う傾向が日本人には強い。
しかし、SNS全盛の今の時代において、今まではなんとか隠してこれたものが不可能になりつつある。
勝手に憧れて勝手に理想を作り上げた挙句、裏切られて傷ついては相手に報復をしていたのでは全員が不幸になってしまう。
この息苦しい世界を脱するためには、お互いがただの人間であることを認めあうことにほかならない。
それでも尚信仰の対象を見つけようとするなら止はしない。ただ、そうした生き方を続けられない時代が訪れている。ただそれだけのことである。
アイドルや消防士になることを強要されていない限りにおいては 別にそれらのルールは世の中の息苦しさの原因ではないと思う