2017-03-01

痛ましい事件を引き合いに一般論を書く事の不用意さ

泥棒に入られたらという事件を聞いて、一般の人が出来る事は戸締りをきちんとするとか生活態度に気を配って注意深く生きるとか、泥棒自体にどうこうする事は出来ないから、それが不十分であってもその方法しか無いのでそう考える癖が付いているような気がする。「人の物を盗む泥棒が悪い」というのは自明であるからあえて言及する必要が無く、犯罪被害者(予備軍)の側にしか注意がいかないのだと。

これが通り魔事件であるとか、性暴力事件の話でも同じ風に考えてついうっかり発言してしまうのは、不用意ではあると思うが多少は理解が出来る。彼らも被害者の落ち度をもって犯罪者を完全に免罪する気は無いのだと。でも、やっぱり不用意ではあると思う。犯罪天災か何かだと思っているのだろう。その考えも全く間違ってはいない。意識的に変えられる対策が打てるのは犯罪被害者(予備軍)側だけなのだから

犯罪者を生まない社会を作ろう」みたいに飛躍出来れば、全く雲を掴むような話で実効性は無いが、少なくとも批判される事は少ないだろう。

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