2016年の政治キーワードって「怒り」だったと思う。トランプにせよイギリスにせよベネズエラにせよトルコにせよ、国民の「怒り」や「いらだち」が政治的な運動へ表出したっていうのは、記憶されていいのじゃないかなあ。――っていうのをじつは増田をながめてて思ったわけだ。この場所にも「怒り」や「いらだち」がある。
問題は、日本の場合それが完全に消費文化と癒着しているっていう点なんだよなあ。「怒り」や「いらだち」が日常生活の中で、単純に消費されていく。いつも怒ってるおばさんやおじさんは、怒ってるんだけど、その「怒り」の対象は千差万別だしそもそもベルトコンベア式に目の前に来るものを殴ってるだけだ。それが芸能人の不倫報道だったり、都知事のしょぼい公金流用だったりする。なんというか、「怒り」をマスコミにコントロールされてるんだろうなあ。