2016-06-15

松屋泥酔おじさん

無性に松屋牛めしが食べたい。そう思って松屋のドアをくぐると、泥酔したおじさんがいた。

中肉中背、ともすれば瘦せ型だった。頭は地肌の見える短髪白髪。髭は無造作に生え、見た目の年齢は50〜60くらい。水色のポロシャツはそこまで汚れていなかった。

テーブルの上には、カレーと牛皿、それに瓶ビールが2本。1本はすでに空いていた。カレーも牛皿もほとんど手つかずで、コップに注がれたビールも、僕が牛めしをかきこむ間ほとんど減ることはなかった。

おじさんはとにかく独り言を繰り返していた。独り言、というには声量は大きく、誰かに話しかけているような語調。ろれつが回っていなかったのか、べらんめぇのようで、実際はなにを言ってるかまったくわからなかった。たまに近くの席の人に声を投げかけていたが、返事がなくても気にしていない様子だった。いずれにせよ、おじさんがここにはいない何者かと話しているように見えて、それが余計に「酔っぱらい」を連想させた。

泥酔している、とは書いたものの、本当は泥酔などしていなくて、単に頭のおかしいおじさんだったのかもしれない。しかし、もし瓶ビール1本で、あそこまで泥酔できたとしたら、それはそれで幸せだろうなとも感じた。それも白昼の松屋酩酊できるならば、なんとコストパフォーマンスに優れた人生か。

今や、富士そばソーセージレーベンブロイをいただける時代だ。松屋で一杯ひっかけるというのは、別段不思議なことではない。しかし、「白昼の松屋」「中年」「一人」「瓶ビール」「泥酔」「独り言」といった要素が重ね合わさった途端、どうしようもない末期感がそこに生まれる。

彼とて、なにも松屋で真昼間からへべれけになるために、この世に生まれたわけではあるまい。あのおじさんは、どこから来て、なぜあの状況に行き着いたのだろう。そしておじさんは、この先どこへ行くのだろう。

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