真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
個人が唱える論が執拗であったり感情的であったりするときに、揶揄的な意味合いで使われることが多いな。
これにはいくつかの説がある。
定説は、「人間は身内を殺されたりするほどの背景や動機がなければ、そこまで執拗だったり情熱的になれない」とする説だ。
もちろん、冷静に考えれば必ずしもそうではない。
だが受け手にしてみれば、その人間が「なぜそのような言動を?」というのを納得するアンサーとして“物語”が必要なんだ。
虚実がどうあれ、他人を理解する手法としてコストパフォーマンスに優れているからな。
では、なぜその理由が「親が殺されたのか」というと古今東西、物語において主人公の親の死亡率は高かったのさ。
そうやって物語に触れてきた人たちにとって、動機や背景として「親が殺された」というのは分かりやすかったんだ。
……そうか、無神経なことを聞いてしまったようだな。