とうとうリフレ派の代表格が日銀副総裁になるということが現実的な話となるところまで来ました。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324838304578324871862202496.html
b:id:bewaadさんは、経済学者がほぼリフレで一枚岩になるほど一致して政府にリフレ政策を助言できるようにならないと、
あるいは(同時に)世間にリフレ政策がひろく受け入れられるようにならないとリフレ政策は現実問題として相手されない
と何度も述べられていました。
しかし、経済学者はいまでもアベノミクス、あるいはその中の金融政策部分に限っても反対な人は多く昔と勢力図は変わりません。
しかし、上述したようにリフレ政策が現実にとられる寸前のところまで来ています。
bewaadさんが言うほどまでには、経済学者が一枚岩でリフレを推薦することや、リフレ派が世間から好かれるようになることは
重要ではなかったということだと思います。なぜ、bewaadさんの読みは間違ったのでしょうか?
そして、「経済学者が一枚岩になるまでボクたちは動けません」という態度は、経済学者が一枚岩になることがリフレ政策が行われる
必要条件ではなかったという現実に照らし合わすと、単なる現状維持バイアス、宿題やりたくない子供の言い訳のようなものだったのでは
ないでしょうか。『「そのうちなんとかなるさ」という気分にはなれず、じゃあなんとかなるまでに何ができるのか』という精神から
ずれてしまっていたのではないかと思えてなりません。