「アーティストは政治的発言をするな」とか、「流行語大賞に政治関連ワードを入れるな」とか言ってる人たちって、いったい何を求めているんだろう、と考えてみた。
という文章を書いてみた途端、すぐにその問いに対する自分なりの回答が思い浮かんだ。
おそらくそういう人たちは、「政治的に偏っていること」が嫌なのだろう。
そしてそのような偏った意見が、大衆に垂れ流されるのも嫌なんだろう。
心情としてはわかる。
歴史を見た上で思うのは、「間違ったこと」だけでなく、「正しいこと」もまた、偏った一部の意見であることが多いのではないか、ということだ。
ヒトラーの政治は偏った意見だったが、ヒトラーに対抗する意見も、初めは偏った意見だった。
奴隷をあくまでも使うべきだと考えたのは偏った人々だったが、奴隷をあくまでも解放すべきだと考えた人々もまた、偏った少数派だった。
「正しいもの」が歴史に残るのではなく、勝ったものが「正しいもの」として歴史に残るのだ、という冷めた見方もできるだろう。
しかし少なくとも、人が政治的になろうとする上で、偏る、ということは、避けられないことなのではないだろうか。
正しくもなく、間違いでもなく、波風立てず、普通に生きるためには、偏らないことが大切だ。
そのためには、政治的になる、ということは、時に致命的になる。