2015-12-03

アーティスト政治的発言をするな」とか、「流行語大賞政治関連ワードを入れるな」とか言ってる人たちって、いったい何を求めているんだろう、と考えてみた。

という文章を書いてみた途端、すぐにその問いに対する自分なりの回答が思い浮かんだ。

おそらくそういう人たちは、「政治的に偏っていること」が嫌なのだろう。

そしてそのような偏った意見が、大衆に垂れ流されるのも嫌なんだろう。

心情としてはわかる。

歴史を見た上で思うのは、「間違ったこと」だけでなく、「正しいこと」もまた、偏った一部の意見であることが多いのではないか、ということだ。

ヒトラー政治は偏った意見だったが、ヒトラーに対抗する意見も、初めは偏った意見だった。

奴隷あくまでも使うべきだと考えたのは偏った人々だったが、奴隷あくまでも解放すべきだと考えた人々もまた、偏った少数派だった。

「正しいもの」が歴史に残るのではなく、勝ったものが「正しいもの」として歴史に残るのだ、という冷めた見方もできるだろう。

しかし少なくとも、人が政治的になろうとする上で、偏る、ということは、避けられないことなのではないだろうか。

正しくもなく、間違いでもなく、波風立てず、普通に生きるためには、偏らないことが大切だ。

そのためには、政治的になる、ということは、時に致命的になる。

政治的もの忌避する人々をどうこう言う権利は、今の自分には無い。

だってここ、増田だし。波風立てたくないから匿名で書いてるんだし。

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