最近って言ってもここ数百年の話だけど、変じゃない?「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそう(wiki)」っていう、中世日本で編み出された侘び寂びは、現代にも通じる普遍的な思想なのはわかるよ。自然と季節を取り入れて、飾らず、一期一会の気持ちでもてなしましょう、というのも、すばらしい。
でも、お茶の世界って、道具大事すぎじゃない?「この道具は中国の清の時代でうんたらかんたら〜」「室町将軍家が代々伝えてきたうんたらかんたら〜」みたいな、それって侘びや寂びと関係なくない?舶来品とか室町将軍伝来とか、どこが貧相?いや、それは芸術性を見ているんだっていうのなら、だったらなんでそんなに箱の裏書とかを大事にするわけよ。茶席で裏書を客に見せるわけじゃないだろうに。
もっとよくわからないのは、現代のお免状制度ね。金払って免状貰わないと教えられないとか。貧相や不足を本質に持つ思想を教えるための免状を、大金で買うって、それって免罪符も真っ青な価値の転倒じゃない?ニーチェもびっくりだわ。
そのへんどうなの?茶道会に詳しい人。
時々あれのの年寄りに多かったもんでしょじゃん。
古い茶器が「古いから」「銘があるから」大事にされてるのではなく わびやさびに優れているからこそ、分かる人に大事にされ、 大事にされるから受け継がれているわけ。 本末転倒。 ...
高価で美しい茶器を珍重することや、そもそも道具にこだわることは、茶道のわびさびの精神と矛盾するのではという気がするんだよね。もちろんこだわり方次第で、花瓶に入れる花で...
道具にこだわるのは、「客へのもてなし」だからでしょ。 自分のためではない。 茶道の本質よくわかってなくね?
そんなん建前に決まってるだろw
w 茶道なんて建前文化じゃんwww
建前文化というのがいまいちよくわからんが モトマスダはそこに突っ込んでるんじゃないですかねえ
「高価な茶器を用いることで、よりよく客をもてなすことができる」という発想が、わびさびの精神に反していると思うわけ。貧しい人を含めてどのような人でも手が届く、日常にある...
わびさびの概念だって時代によって変わる。はいろんぱっぱー