その「人格を作る」のような独特の世界観に基づくが定型的な説明は止めたほうがいいかもしれないな。
現在も困っていることを、そういう定型的な仕方で、原因まで特定して説明してしまうのはまずい。
症状があるからって原因として実際はなかった出来事をあったことにしてしまうこともあるようだし。
まどろんでいるときにいつもの自分では思い浮かばないような推論のような対話のようななにかが発生していたか夢を見ていたかの境界のような状態で、
なんらかのちょっとした身体運動を伴う日常的な行動をしてたらしいんだが、
上の推論か対話か夢のようなものが発生してなんかやっていたことはわかるが、
推論か対話か夢や行動の内容を覚えていないことは俺もよくある。
おぼろげにそのときの行動の記憶を思い出したような感じもするが、
その「記憶」の内容は行動の結果から上の日常的な行動をあとになって推測して構成したものかもしれない。
推論のような対話のようななにかっつっても結局は自問自答なわけだが。