ネットでも現実でも「自分に楯突いた相手が痛い目を見るまで粘着し続ける」人間がいる。
こういう類の連中の大部分は醜く無能だ。
それは粘着質な生き方が醜いという事以上に、人生の使い方が美しくなくそしてそれ故に人として自分を磨ききっていないから醜いのだ。
他人を変えることは出来ない、他人に期待をするな、先人たちは事あるごとに他者の変化を渇望することの無意味さを説いてきた。
そこにはちゃんと意味がある。
だが無能な連中はそれに耳を傾けず、自身の経験からすらも学ばない。
そして人生をドブに叩き込み続け、その間にも脳はジワジワと退化していく。
「相手にとってプラスになる(と自分が思っている)になる行動を取らせる場合」も変わらない。
他人が働きかけて人を変えようなんて思い上がりも甚だしい。
本人の認識に明らかな誤りがあってそれを正す場合ならチャンスはある。
ただしそれも「感覚」の誤りでなく「知識」の誤りである場合だけだ。
唐澤貴洋弁護士を執拗に粘着するキチガイとかな