2015-05-26

他人自分の思い通りになるまで行動を続けること」ほど無駄時間の使い方はない

ネットでも現実でも「自分に楯突いた相手が痛い目を見るまで粘着し続ける」人間がいる。

こういう類の連中の大部分は醜く無能だ。

それは粘着質な生き方が醜いという事以上に、人生の使い方が美しくなくそしてそれ故に人として自分を磨ききっていないから醜いのだ。

他人を変えることは出来ない、他人に期待をするな、先人たちは事あるごとに他者の変化を渇望することの無意味さを説いてきた。

そこにはちゃんと意味がある。

だが無能な連中はそれに耳を傾けず、自身経験からすらも学ばない。

そして人生をドブに叩き込み続け、その間にも脳はジワジワと退化していく。

これは何も「相手を痛めつける場合」にとどまらない。

「相手にとってプラスになる(と自分が思っている)になる行動を取らせる場合」も変わらない。

他人が働きかけて人を変えようなんて思い上がりも甚だしい。

本人の認識に明らかな誤りがあってそれを正す場合ならチャンスはある。

ただしそれも「感覚」の誤りでなく「知識」の誤りである場合だけだ。

感覚齟齬を乗り越える方法はお互いが適度な距離を保つことだけだ。

人生観の違いを乗り越える方法も同じだ。

他人を変えようとすることに時間無駄にしてはならない。

戒めとしてこの増田を残し仕事に戻る。

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