学校や職場で友人や同僚と世間話をしている時よりも、家で本を読んだり映画を見ている時のほうが精神的に落ち着く。
他人と話をしているとはっきりと自分と他人の関係が浮き彫りになっていく。
相手にとって自分は割りとどうでもよくて、自分にとっても相手はかなりどうでもいい。
だけどお互いに面と向き合っていると相手の目から「本当はお前なんてどうでもいい」と語りかけられているようで辛くなる。
そんな思いをするぐらいなら本でも読んでいたほうがまだ孤独という物から遠ざかることが出来る。
その不特定多数の誰かに自分が含まれているという事を、その作品を楽しんでいる時に時折ふと感じるのだ。
その感覚だけで十分だ。
わざわざ1対1やら10人ぐらいやらで向き合って同じ時間を共有しているはずなのに、それぞれがそれぞれを本当は心底どうでもいいなんて思っている矛盾なんかよりはよっぽどいい。
百万人の消費者の1人、その立場から一歩も揺らぐことなく映画なりゲームなりを消費する。
その歪みが全くない状態のほうが俺は落ち着くし、心の中にある孤独も埋まるのだ。
結局俺の孤独というのは、消費者として必要とされたり、面白いという感覚を世間の流行やレビューを通して共感できる程度で十分に満たされるものなのだ。
そんな自分には、人付き合いという物はどうにも粒が大きすぎてうまく消化できず結果として食えば食うほど腹が空くような代物らしい。
それは粒が大きすぎて消化できないんじゃなくて、 調理せずに生で食おうとして腹壊してるようなもんではないか? 人間関係ってのは自然発生するものじゃなくて日々の付き合いから構...