もうすぐ子供が生まれるので日々に張り合いが出ている。
なんでこんなに毎日が充実しているように感じるのだろうかと考えていたらふと嫌な仮説を思いついた。
自分の中に貯めこんでいると良くないのでここに吐き出そうと思う。
自分はもしかしたら子供を利用して自分の自尊心を満たそうとしており、
そして「自分の自尊心を満たせる」という事がこんなにも嬉しいから毎日が充実しているのかも知れない。
「子供を産み育てる」という事はヒトという生き物が生きる最大の目的であり、
現代社会を生きる人間にとっても「未来の労働力を生み出す」というのは重大な使命である。
我が子を育てていくという事はヒトとしての本能も社会人としての役割も同時に大いに満たすことが出来る。
何よりも子供という儚い存在は「自分たちがいなければ生きていけない大事な存在がいる」という状態を用意してくれる。
自分たち夫婦が稼いだお金で育つ生産力を持たない存在を育てる、
これはいわば「金と手間暇で自尊心を買っている」という行為になるのではないだろうか。
そして自分はただその「自動的に自尊心が満たされている日々」という物がただひたすらに待ち遠しいのではと。
生まれてくる子供は親を選べない。
もしかしたら我が子は「自尊心を満たすために子供を授かろうとした親」の元に産まれてきてしまうのでは、
そう思うとふと寒々しいモノが背筋を走る。
これは初めての経験からアレコレ考えているうちに出てきた単なる思いつき、言うなれば戯言だろう。
先程も言ったがそれでもなんとなくここで吐き出しておきたかった。