2014-03-02

日記というかなんというか

長々ごめんなさい。

1980年代。私は自分宛てに来た手紙を紛失した。どこでなくなったかという心当たりはある。

その手紙が来るようになる少し前、私は奇妙なことに立て続けに遭遇していた。(自分の遭遇したことだけでも書ければいいのだが、奇妙な環境なので書けない) 手紙をもらっても、いろいろなことが頭に渦巻いていて、何を書けばいいのかわからなくなっていた。書きたくない。それで何日も持ち歩いてしまった。

それがなくなった。手紙は小さな巾着にお金文房具と一緒にいれてあった。手紙には時折その人が私に使う愛称が書かれていた。封筒は一緒にしていなかったが、ちょっと調べたら「誰が誰から受け取った手紙か」というのがわかってしまうかもしれない?根拠はないが嫌な予感がする。私の持ち物と知った誰かが持ち去ったのだろうか。考えたくないな。

それと前後するように、私は別の人から手紙をもらうようになった。(と、あたかも「関連あるかのように」私は書いてしまうのだが、関連性などは、まったくわからない)

わずかな期間だったのだが、来た手紙はかなりの量だった。内容も奇妙だった。

私ではない「別の誰か」に宛てたようなことがらで埋め尽くされている。 私は、その手紙の送り主と在学中ですらほとんど言葉を交わした記憶がない。電話は一度も無い。

宛先を間違えたのかと表書きを見るけれど、別人に宛てたもの誤配されたわけでもなさそう。私以外の人物の名前もよく出てきた。私も知っている人ばかり。

今だったら、そうなればいくらなんでも、電話なりなんなりかけて「宛先違いなのでは?」と言ったのかもしれないが、そのときは気が引けた。

実は、数通、内容を何度も読んでしまったのだ。私に宛てているとはいえ、内容からすると一種の宛先違いで、しかも個人的な感情記述も多々ある内容。

気まずすぎる。

そのうえ、その人の書いている内容に沿って考えると、その人は、その人とふだん言葉を交わす人からものすごい勢いで」騙されている。

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