2013-09-11

実話は実話であってこそ価値があるもの

http://www.famitsu.com/news/201309/10039786.html

例のゲーセン女の子の話。

読み進めて卵巣がんのあたりで「あーこれ絶対実話じゃないわ」と確信したので(実際経験してるとね)途中で読むのやめたんだけど、案の定創作でした。やっぱりね。

こういうこと書くと、「フィクション何が悪いの?実話じゃなくても感動できればいいじゃない」とか言う人が一定数出てくんだけど、良くないよ。全然良くないよ。

実話であるかのように臭わせて感動話を始めたからには、その中身がどんなに泣ける素晴らしいお話だったとしても、創作であっては価値を感じないんです。

何故か。

だってこんな味気ない日常の中でも世界のどこかでは、心温まるような出来事があるんだ、悲しいことを乗り越えて強く生きる人がいるんだ、物語のような奇跡が起こるんだって夢を見たいんですよ。

ノンフィクションだっていう感動話を読む時に期待するのはそこなの。ある意味ロマンチストなの。

それが残念!創作でしたー、いやそもそも実話だなんてハッキリ書いてないしー、じゃ夢やロマンが木っ端微塵。

騙されるのが嫌とかそういう問題じゃないんです。

いえね、フィクションだって感動的なお話はたくさんありますよ。

だって映画小説アニメ漫画で、感動したり涙したりします。

でも、それと実話前提である感動話とは求めてるものが違うってことです。

あくまでも私はね。

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