「知的書評合戦ビブリオバトル」という運動、企画がある。公式サイトはhttp://www.bibliobattle.jp/
端的にいえば、何人かで集まり、一人一冊の本を用意し5分間でプレゼン、議論の後面白かったものを「チャンプ本」とするものだ。こうした営為から、たくさんの本を知る機会になったり、その向こう側に見える人となりを知ったりするのがねらいのなのだそうだ。
この運動そのものには賛同なのだ。しかし細かい話だがタイトルが気に食わない。「知的」とは何だろうか?
「知的」っていうのはいかにもカッコ良さそうな単語だ。様々な大学で行なわれる当バトルでも、「知的」のところにキラキラがあったりして強調されていて、こういう新しくて「知的」な営為がかっこいいもの、スタイリッシュなものとして設定されている。
確かに、物事に通暁して説明とか上手だと、それはかっこいい。「知」のプロフェッショナルの姿はかっこいいのだ。
一方でこのビブリオバトルは人や本を知る、「知」への入口に過ぎないのではないか。その営為を「知的」なものとして華やかにしてしまったら、読書や人とのつながりを、かっこつけるための方便として利用するにとどまってしまうのではないのか。「知的」や「知」というものは初めから光を放つものではない。「知的」や「知」を極めようとすると、孤独や苦痛といったものを伴う。ファッションで「知」を飾ると、そうしたプロフェッショナルな「知」への道を紛らかす可能性があるのではないかと、感じた。