2012-09-29

人の道は中道

よく知らない仏教言葉をヒントに。

人は(あるいは知的生物は)中道な意思決定に陥らざるを得ない。

目先の利益重要だ、というと語弊がある。正確には、目先の損失から目を背けることができない、というのが正しいのではないかと思う。

適切な例かどうかはわからないが、領土問題にも感じる。

竹島韓国実効支配してるよ?日本が何と言おうと。でも、日本はあきらめない。損失が怖いから。損失が、目に見えるのが怖いから。損失が、不可避になるのが怖いから。

この例は僕がネトウヨ気味なのも関係しているかもしれないのでここで止める。

結局、中道化する。混在する。まったく使用には不適切ではあるけれど、全か無かの法則のごとく。

組織が極論の立場を採るには、感情論的な部分が必要であると感じる。(戦前日本を参考に)

または、右肩下がりであることが必要かもしれない。(負け始めると人は1発勝負に出やすくなるとのこと)

ここで共産主義すごい、って言いたい。理論だけしかなかったものに心酔して、国作って突っ走ったので。

相変わらず、だから?って聞かれたらそれまでの話だけど、

中道は最善手ではない(極論と同程度に不適切である

局所における最善の意思決定は(その時点でいくら努力しても)トータルの意思決定においては最善手足りえないことがままある。までが個人的で、おそらく当たり前と判断される結論。

で、ここまでは頑張ったので、だれか才能のある方

自由主義的に、トータルにおける組織の最善手と局所的な個人の最善手が一致するよい方法、教えてください。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん