http://alfalfalfa.com/archives/5798390.html
(念のため先に書いておくと、全てのいじめがそうであると言っているわけではないし、いじめ加害者らを擁護するわけでもない)
いじめの始まり方およびいじめ加害者側の論理の一つの類型として、
「被害者がコミュニティ的なルール違反をしたので、被害者には人権はなく、制裁されて当然である」
というようなものがあるように思う。
「コミュニティ的なルール違反」というのは例えば「空気よめない」とか「ドン臭い」というようなはたから見ればどうでもいいようなものから本当にまずいもの(「いじめを行った」とか)まであるだろう。
この記事にコメントしている人たちの論理、行動原理にはそれと同じものを感じる。
「大津のいじめ加害者らは社会的に許されない行為をした犯罪者であり人権はない。
彼らが受けた/受けつつある制裁は手ぬるいので、どのような私刑も許されるし積極的に行うべきである」というものだ。
あえて言うが、これは「いじめっ子の論理」と同じである。元の新聞記事の指摘通り、彼らの行為はいじめっ子の行為と相似だ。
個人的な予断として、大津いじめ加害者らは社会的に許されざる行為をしたと推定できるので、社会的な償いをしなければならない。
何て言うんだっけこういうの。 あ、そうだ「フラクタル」だ。 暗黒フラクタル。エンドレス。
あれ?
この世からイジメが無くならないでろうという論拠の一つだな、と感じる。 「本来動くべき教育委員会とか警察が隠蔽してるからー」ってなら教育委員会とか警察を叩いて 彼らがちゃん...