池田信夫氏の話が、一方的な気がした。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51799206.html
原文をあまり修正せずに逆の話が成り立つか考えてみた。
できるだけ原文を修正したくないのでメチャメチャな文章だ。
結局、逆も成り立つような気もするし、しない気もする。
つまり池田信夫氏はフリーライダーのような気もするし、しない気もする。
あー、やっぱりおれは馬鹿だなー。
(コメント欄やRTには「賛成は当然」派が多い。気持ち悪い)
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原発推進派は、対案を出している。彼らは「電気代が高くなる」と批判するだけではなく「小さいリスクを享受しろ」と言っているのだ。「高い電気代がいやだ」というだけなら害はない。誰でもいやに決まっている。原発推進派は「原発のリスクは、将来の国民、またはある地域の国民が負担しろ」という対案を出しているから危険なのだ。
池田信夫氏は、「日本人の合理的思考を再構築しなければならない」と主張したいようだ。おっしゃる通り、池田氏のように「リスク感覚」や「経済感覚」などという話を振り回し、そのリスクを他人に負担させるフリーライダーこそ清算が必要だ。
社会が大きくなると負担と受益の関係、負担とリスクの関係がわかりにくくなるので、このように他人にただ乗りする誘惑が大きくなる。それは短期的には合理的だ。池田氏のように原発地域に住まない高齢者には、「数百年に一回(本当?)」の原発事故なんてどうでもいいだろう。原発事故で経済的な負担が大きくなろうと、「数百年後の関東や東海」に人間が住めなかろうと知ったことではない。それは将来の国民が広く負担したり、特定地域の国民が激烈に負担したりすればいいだけで、多くの時代(本当?)や大多数の国民にとっては大したリスクではない。
しかし、そのときの社会的コストが1000兆円の政府債務になると、国家を押しつぶす。ここまで来ても反原発反対とか原発を起動させろとか言っている人々は、将来の国家を破綻させろという対案を出しているのだ。