2011-07-30

クリエイティブ

久しぶりに長文書きたくなったけど書く場所が無いのでここで。

僕は何かを創るのが好きだ。

何かを創っていると、とても楽しいし、

その成果物は誰かに楽しみを生んでくれるという好循環があるから

「何かを創ったことが無い」人は仮に居たとしても、

「他の人が創った何かで楽しんだことが無い」という居ないと思うので、

きっとこの価値観は多少なりわかってもらえると思う。

僕は誰かに楽しませてもらって、誰かを楽しませて生きてきた。

僕が誰かを楽しませたい理由はそれが僕にとって快感から

気持ちは意外な事に通じてしまもので、人に楽しんでもらえると僕も楽しくなるから

僕にとってのクリエイティブの根幹はそこにあり、それがモノを創る理由だ。

ところが最近、僕は何も創れなくなってしまった。

特にトラウマになるような何かがあったわけでもないが、

だんだんモチベーションが下がっていった。

創る気力が無くなってしまった。

あんなに楽しかった創作活動は、ただダルいだけで時間を浪費するだけのものになってしまった。

なぜそんなことが起こったのか、僕は最近やっと分かった。

実は、僕はある時点から創ったものに対してお金を貰うようになった。

お金を貰うというのは本当に大変なことで、

「いつまでに、どんなものが欲しい」とか

「あれこれはダメで、こういうものがいい」とか

そういった要求に全て答えなければならない。

はいからか義務感に苛まれてモノを作るようになった。

それが、この悪循環の原因だと、ぼくはやっと気づいた。

創っている本人が楽しくないものに誰かを楽しませる事が出来る筈がないと、

はいまになってこんな簡単な事にやっと気づく事ができた。

じゃあ創る事はなぜ楽しかったのか考えた。答えはすぐに出た。

思い返せば、創る事が楽しかった頃はすべてが自由だった。

どんなものを創ろうが自由だし、ぼくは僕の好きなときに好きなものを創ることができた。

どんな束縛をも無視して、自由にものを作っていた。

創る事が楽しいのは、自由だからだと気がついた。

実を言うと僕はいま、すごく悩んでいる。

自分を束縛しているものから抜け出す手段の1つはとても簡単だ。お金をもらわなければいい。

だけど、社会残酷で、利益を生み出さない者を生かしてはくれない。

楽しい」だけじゃ飯は食えない。

僕はこれからどうしようか、とても悩んでいる。

ただ、1つだけ言える事は、楽しくない創作はもはや創作ではない。という事。

僕はとりあえず、僕が思いついたもう1つの選択肢である「楽しんで創作する」という手段をとってみようと思う。

それで何かが変わるかもしれないし、何も変らないかもしれない。

だけど、創作とは変化を生み出すことだから、僕は自分自身に対してクリエイティブになってみようと思う。

  • 苦しんでいるんですね。 やっぱり楽しいとか、萌えるとか、燃えるとか、とにかくエモーションを駆動する作品が一番ですよ。 受け手を喜ばせる方法というのはある程度ご存知でしょう...

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