論文は読んでないってだけで、研究の立案とか実験とか (専門は林業だからむしろフィールドワークとかかな?) については指導してたんでは。「学生が何をやったかは知っている」と書いているので全く放任していたわけではあるまい。
で、卒論で重要なのは仮説の立て方とか検証の過程であって、最終的にそれを記す卒論自体は好きに書いたらいい、って方針なんでしょう。実際、理系で100ページにもなる論文なんて他に投稿しようがないから、その「書き方」にとやかく口を出す意味はあまりないかもしれず。同内容を投稿論文にまとめる場合は見てたんじゃない? 特にその点についてはtogetterでは触れられてないけど。
自分の卒業した学科は、卒論の枚数には上限があった。30pだったかな。ダブルスペースでその枚数だと、投稿論文のtwo columnフォーマットで12pくらいに収まるから、そのくらいに制限をかけるならまあ意味があるかな。もっとも教授本人に見てもらうのはほぼ最終段階だったけど。
元増田は修論を「書く」のにのたうちまわったということだけど、それはほんとうに「書く」こと自体で引っかかってたの? 仮説も実験データも全部揃ってて、「書く」だけの段階で?