元カノが一部でちょっとだけ有名なデブなブロガーと付き合い始めた。
デブで頭も悪そうな欲望に忠実なだけの男なんでどこがいいのかわからない。
で、元カノの羽目どりビデオが大量にあるんでこいつのところに送り付けたい。
この女の本性を知らせる警告の意味で送り付けたい。
普通に送り付けたらただのいやらがせだと思われてしまいそうだ。
どうすればいいんだろう?
といいつつビデオの中のこの女の息顔とかみたら
このデブがどう思うのか、それを試してみたい気持ちもあるんだ。
基本的に嫌でつらいばかりの毎日だけど、
たまにものすごく幸福だという幻覚がやってきて、
自分は幸せでたまらない!不満がない!みんな大好き!ってなって、
しばらくして去る。
後の反動がきつい。
この多幸感は前触れなく勝手に来る。制御できん。
自分がなぜここまで別の世界、リアルな別世界、仮想空間を求めているのかが分かった。
自分は太っているし、はっきりいってかっこよくないし、それを起因とした立ち振る舞いすべてにコンプレックスがある。
自分の家以外では鏡を見れない。外世界と繋がっている状態で自分がどう見えているのか確認したくないという強い思いがある。それを見た瞬間、もう前を向いて歩けなくなってしまう。
この強いコンプレックスが、おそらく自分のカタチを簡単に変えられ誰かになれる仮想世界への思いを強固にさせているのだろう。
増田内で容姿に関する文章を読むと、まっさきに「何でそんな下らないこと考えてるんだ」と鼻で笑ってしまうのは、仮想空間で自分のカタチを変えられればいくらでもイケメンになれるじゃないかという確信めいたおもいがあるからだ。
リアルを変えるのはかなり難しい。そうでないという意見もあるが、リアルとはおおむね固定化しており、安定的だからだ。この安定感こそ、人間をこの世界に強力に縛り付けるモノなんだろう。
リアルな仮想空間は、いわゆるいいとこどりだ。安定感を持ちながら、一方では簡単にそれを崩すことも出来る。顔を簡単に変え、別人になれる。一見すると不安定だが、その世界の根底にはこのリアルと同様の「安定感」があるために、インターネットのような無重力空間的な不安定感はないと思う。不安定さを保持したまま安定した空間を提供する。これぞ次世代。
当たり前だが、世の中の人間みんながかっこよくて個性的なわけではない。だから、このサービスがはじまればかなりウケると思う。
もちろん誰かになれるだけがウリではない。物理的な制約、時間的な制約からも解放される。リアルな時間変化に飽きた人々は、一瞬にして昼が夜になり、夜が朝になることに何の違和感も感じなくなるだろう。
それぞれの場所、風景には適切な時間帯というものがある。昼のビーチではしゃぎたい人がいれば、夕焼けのビーチで哀愁を感じたい人もいる。
単なる3次元空間では陳腐に感じられても、五感を投影させた3次元空間ならもはやそれをニセモノだと言う人はいなくなるだろう。
要するに「新しい歴史教科書をつくる会」リフレ版をやれば突破口が開けると信じたわけだ。
しかしまあ、来年ぐらいには学者メンバーは何人か「リベラルすぎる」とか「日銀寄りすぎる」とか何とかの理由でパージされているはずなので、その運命を思えば涙がこぼれる。
みなさん、私は怒ってます!
ひ、ひどい・・・絶対に許せないです!
殺された2幼児が許せないです!
母親には何の罪もないのにですよ?
皇太子も若い嫁の方が良いだろ。
テープを張って扉から出れないようにしてたそうです。
二人の糞ガキは糞尿を垂らしながら死んでいったそうです。
何と糞を食べた形跡があるそうです。
糞尿を漏らしながら苦しで死んでいった糞ガキを想像すると
思わずヨダレが出ますね。
人が死ぬのって楽しいですね。
殺されそうにもなったが、
それでも舜は父母を責めないで親孝行したのです。
昔は尊属殺人と言って子が親を殺すときは罪が重かった。
逆に、子供は卑属だから親が子を殺すときは罪が軽い。
子供が二人死んだんなら、
また二人産めば済むだろ。
人の命が最も価値があるというのは、
価値観の一元化ですね。
答えが決まってるなら誰も何も考えなくなる。
ヤノマミってご存知ですか?
彼らは母親が産んだ子供を生かすか殺すか決めて、殺すと決めたら母親が自ら子供を殺すのです。
葬式なんてやらないで良い。
狂ってるんじゃないのか?
しかし、この母親は何故、死んだ子供の人肉を食べないのか理解に苦しみますね。
http://www.asahi.com/national/update/
殺人?
ふざけるな!
全く理解できませんね。
「死ぬとわかっていた」って
そりゃ人間誰だっていつか死ぬだろ。
死なない人間がいるのかと?
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_cul&k=20100511024967a
上の記事によると70年間飲まず食わずで生存しているインドの行者がいるそうです。
たったの一ヶ月閉じ込めただけで必ず死ぬと言い切れますか?
いや、ごめん。そんなに強く言うつもりじゃなかったんだけど……
望む環境に微妙なラインで喰い付く力だけはあったらしく、ギリギリでそこに入り込む、ということを10何年続けてきた。
おかげで、(その環境・業界を望む人にとっては)羨ましがられるところに身を置けている。
能力がある訳でもないので、周りからは離されていくばかり。
比較して、凹んで、さらに追い打ちが掛かって、精神的にかなり追い詰められている。
でも、やっぱりこの世界で生きていきたいと思ってしまうから、今の環境から離れたいという意思が浮かばない。
諦めた方が楽だし、もう少し幸せに生きられると思うのに。
全てに疲れちゃったな、もう。
分かってるのにな。
また違った
合っていると思い込んでぐいぐいと押し込んでいた
この空隙を埋められるものなんてないのかもしれない
幻のピースを求めているのかもしれない
それでも
わかっていても
求めてしまうんだなあ・・・・・・
諦めればいいのに
とりあえず、どうしてmisonoや小森純を始めとする一部のギャルタレントは、
自分の恋愛話がみんな聞きたいと思っている風に話し始めるのか。
別に為にもならないし、感情で行動してるようなダメ恋愛を聞いても「そりゃ、そうなりますよね。」って感想にしかならない。しかもそのままその人たちのダメ恋愛話から愚痴になり恋愛相談みたいな流れになるし。
ケンミンショーで「なんと大阪人はお店の人にありがとうと言うのだ!」「えー!!」みたいに取り上げられてて私も不思議だった、京都人だけど普通に言うしと思って調べたら
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425951979
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425948814
ここで見てると関東の方の人は恥ずかしがる人が居たり、言わないのが多数派になるらしい。
ちょっとそのツッコミは捻りがなさ過ぎるんじゃないか。
相変わらず新聞の読者欄にはネゴトが多い。今日の朝日の片山幸子とかいう莫迦の投書は実に愚かだ。
車椅子の祖母を連れて回転寿司に行った。テーブル席を希望したら混んでもいないのに一番奥の席が案内される。介助で行き来するのも大変だったし、災害でもあったら避難も大変だ。店はもっと客の安心を考えて欲しい…
正直頭がおかしいとしか思えない。
なんでテーブル席希望は出せて入り口付近の席希望は言えないのか。「入り口だとじろじろ見られるので奥にして欲しい」とか「入り口はなにかとばたばたしてるから奥にしてくれ」という障害者だっているだろう。
というより、そもそも「希望を出す」という語りかけを障害者サイドがやめてどうするのか。現在障害者が社会で個々問題にあたったときどう考えるのか、がおおむね認知されているというのならともかく、実際そうなってない以上、障害者ならではの要求をみんなが察することなど不可能だ。そして健常者と障害者を平等に思えば思うほど扱いも分け隔てなくするほかない。障害者だからと特別扱いするのが常に通るのなら店もそうするだろうが、実際はそうも行かないはずだ。そこで彼らが語りかけを止めてしまえば、障害者の声はいつまで経っても認識されない。
常に理解を求め続けろ、語りかけろ、それが障害者の務めだ、というのではない。特別にテーブル席に着きたければそのときはそう言え、特別に手前の席がいいならそのときはそう言え、というだけのことだ。マックでピクルスを抜くのと大差はない。
大阪は商人の町だからか、当たり前みたいにごちそうさまとか美味しかったって言うよね。
たまに大阪に行った時に、客が「ごちそうさん、美味しかったわー」とか言って出て行くの見てたら、気持ちのいい風習だなぁと思う。
私もごちそうさまやありがとうはいつも言うな、言う方も気持ちいいし。
レジ打ちバイトしてた時もありがとうと言われると嬉しかったよ。
傍から見てても別に何も悪い事ないと思うし言ってればいいんじゃないか。
言うことは賛成。
店を出るときに「ごちそうさま」は美味しい店だったら言う。
値段不相応にマズイもの出したときは言わない。
値段<サービスだったら遠慮なく店を褒めたたえる。
逆だったら何も言わない。
クレームを言うのはアホのすること。
いっぱしの金を払ってからクレームつけろ、と。
二か月前に引越し、新しい耳鼻科を受けたのですが、何故か喘息の認定を受けました。
3年前にも引越し、耳鼻科を変えましたが、そこでも喘息との判定を受けたことがありませんし
1年前に外科で受けた精密検査(心電図、聴診、触診、X腺、血液検、尿検など)でも喘息は告げられず、健康診断を受けても喘息と判断されたことはありませんでした
いづれの検査でも、アレルギー性鼻炎と扁桃腺肥大と言われるだけでした
更には「今まで喘息の治療を受けたことがない!?間違いなく貴方は幼少期からの喘息だというのに、よくも貴方生きて来れましたね。普通死んでますよ。」とまで言われました
因みに、喘息の理由は「ヒューヒュー、ゼーゼーといった喘鳴」ではなく、息をしていないという理解不能な理由でした
息してないなら死んでるじゃん!って突っ込んだのですが、「辛うじて呼吸をしているんだよ」などと言われました
「そりゃあ口内炎だらけで、扁桃腺もはれてて、まともな呼吸ができるはずないじゃないですか、息したら痛いんですよ」
等という私の主張もすべて無視してくださいまして、是が非でも私を喘息にしたかったようです
(素人判断は駄目、医師の判断が優先というのはわかるのですが、論理がサッパリ通っていなかったのです)
(季節の変わり目に喘息の発作は起きる、などと書かれていたのですが、季節の変わり目に体調が悪くなるのは喘息じゃなくても同じでは…?)
それと、私は友人に喘息を持った人がいるので、喘息の発作がどのようなものであるかは知っているのですが、そんなの起きたこともありません
日常生活で自転車で疾走したり、一人暮らしなので部屋で激しく踊ることがあるのですが、全く発作などおきません
煩いと言われるほどに声も大きく、肺活量も普通だと思います
薬に関しても、依然受けていた薬は一つたりとも貰えず、全く別の薬を頂きました(以前の薬は教えてあります)
因みに、今回この医院に通ったのは、扁桃炎と鼻炎を抑えるための薬をもらいに行こうとしただけです
まさかこの様な事態になるとは思いもしませんでした
そして、もらった薬が碌にきかないので、炎症を抑え熱を下げるのに一番重要そうな「ソランタール」という薬剤を調べてみたんですが、喘息患者向けの鎮痛剤で、喘息発作が起きづらく、作用が弱いという情報がありました
そりゃー効かんわってことです
どうも喘息患者にロキソニンなどほかの鎮痛剤を与えると、発作が悪化しやすいそうですが、私はロキソニンを扁桃炎にかかった際、ほぼ必ず服用しますが、全く発作が起きたことはありません
むしろ以前通っていた耳鼻科では、なくなったら貰いに行くレベルでした
どうもロキソニン以外は効きが悪いんですよね
っていうか、ソランタールが頓服扱いなんだけどどういうことなの…
(ロキソニンは一日3錠だった)
別に気にせず飲むけどさ…
お陰でひえぴたはって熱を和らげる始末…
抗生物質はアレグラを頂いたのですが、これも効きがイマイチなんですよね
オラセフが欲しかったのですけど…
まぁ、もうあの耳鼻科には行きません
来週来てくれと言われましたが、あそこ行くくらいなら400円払って前の耳鼻科行った方がマシです
ついでに、前の耳鼻科に行く機会があれば、喘息かどうかは聞いてみようとは思う
絶対喘息じゃないと思うんだけどねー