2008年12月30日の日記

2008-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20081230144434

>よくできたモジュールにしておくと保守偏向や再利用もしやすく効率は上がるはず。

だからそれは後でちゃんとリファクタリングすると言っている。

>コード規約に従っておくのが無難と思う。

だからそれは後でちゃんとリファクタリングすると言っている。

>スキルの高くなくても仕事できるようにしないと池プログラマが欠けたとたん回らなくなってしまう。

だからイケプログラマに限る。と言っている。

帰省のため

まもなく2009年行きの列車に乗ります。

みなさま、良いお年を。

http://anond.hatelabo.jp/20081230151819

保守できるかできないかの二つしかないわけじゃなくて保守のしやすさにも段階はある。

コード規約というのはプログラムの内容というよりは書き方のルール

スキルが高ければどんな書き方でもわかるから内容さえ要件満たせば書き方はばらばらでいいという人がいたりするんだよ。一人でやるならそれで良いが集団でやるならそういうことをすると本人以外が保守できないとまではいかなくても保守しにくくなる。

あと問題が起こったときにどの当たりが悪いのかがはっきりするようにしとくほうがいい。原因や責任あいまいなままじゃ何度でも同じ失敗を繰り返す。

http://anond.hatelabo.jp/20081230152755

あぁ、それは有るだろうね

けど、分かり難いって程度なら保守できん訳ではないだろ

と言うか、言語化できないような分かり難さを規約で禁止って出来るわけない気が

性欲減退

もともと盛んなほうではないけれど、それでもたまに盛っていた・・・

が。

うつ状態になって、安定剤をもらうようになったら、そんな気分にまったくなれない。

セフレをどうしようか悩んでいる。

相手は腰を痛めてそれどころじゃないらしいのでいいか。。

というか、性欲減退ってこんなにも悲しいものだと思わなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20081230143936

ネタだと思うけど、他人の写真シュレッダーにかけてるって人が、自分の周りに居るとは想像したくないですなあ。

居ないと信じるしかないがw

他人と比較しないと、自分幸せ認識できずに居るんだね。まぁそういう時期もある。

優秀なプログラマにとって分かり易いのと、普通プログラマにとって分かり易いってなんか相違があるんだよね。

ただ、どういう相違なのかがよく分からない。

ファッキン子羊共よ、懺悔なさい

年末なので懺悔します

あれは今から十数年前、京都で起こった出来事です

タイトルは忘れましたが、劇場版ドラゴンボールを友人数名と映画館に観に行ったときの話です

私の左には友人が右には母親と来ていた子供(小学校低学年)が座っていました

その子供は興奮しているせいか母親に大声で目の前の映画の内容を実況していて

優雅にドラゴンボール楽しみたい私は少しイライラしていました

その映画では悟飯ピンチになり、さっそうとピッコロさんのマントが翻る場面があり

横の子供が「ピッコロ来た!」と嬉しそうにまた大声ではしゃぎます

私は友人に向かって「おっ、クリリンが来た!」とボケました

なんでやねん」と仲間内で薄ら笑いが起こり、まあこのボケならこんなもんかなと満足していたのですが

マントを着て悟飯を助けたのは本当にクリリンだったのです

友人から「おまえネタバレすんなよー」と非難轟々でした

「いや、ボケたつもりだったんだけど」いくら弁解しても疑いの目は晴れません

しかし、子供だったこともあり、予知能力だ!自分には超能力がある!と

右手をじっとみては"気"を溜めたりして、非難されたことを気にも留めませんでした

ふと、右側からなにか凄い視線が送られてくるのに気づき

顔を向けてみると恐ろしいほどの眼つきで睨まれているではないですか

さっきまであんなにはしゃいでいた子供がものすごい大人しくなっていて

母親が何をネタバレしてんだよと目で語ってきていたのです

信じてください

私は本当にクリリンだと知らなかったのです

パンフレットも見ていません

ボケたつもりだったんです

クリリンが来た」

なんでやねん

「イヤ、クリリンやって」

「緑色やん」

野菜食べ過ぎたなー、クリリンめー」

と、言う会話をシミュレーションしていただけなんです。(一つ目の反応が悪くて失敗しましたが)

でも、ボケたかったんです

一つ目は仲間内に面白いやつだと思われたかったのと

二つ目シミュレーション通りに会話が続くと子供は我々にうるさいなと抗議の目を向けてくるはず

そこでキミがしていたのはこういうことなんだよ、とビックリするほど遠回りに諭そうとしたのです

十数年が経った今でも、あの時の親子の落胆振りが目に焼きついて離れない

母親ドラゴンボールに興味なさそうだったが息子が楽しそうに観て、興奮して、自分に話しかけてくるのを凄い嬉しそうにしていた

それがあの不用意な一言で・・・・

今では何かを発言する前にこの言葉が聞こえる人にはどう影響するかを考えてからにしています

考えすぎて喋ろうとしたときには次の話題に移り友人からは寡黙な人、無口な人となりました

これで私の懺悔を終わります

神様聞いてくださってありがとうございます


皆さんも年の終わりの垢落とし

懺悔してはいかがですか

http://anond.hatelabo.jp/20081230144434

プログラマと同レベルでの保守は池プログラマが居ないと無理だろうけど

どんなコードが書かれているとしても、そのときその場に居るプログラマレベル保守が行われるんじゃないか?

スキルが高くないと保守できないプログラムってのはそもそも低レベルもしくはパラノイアってだけで・・・・・

で、池プログラマが書く低レベルでは保守が難しいプログラムってパラノイア的に入り組んでる奴だと思うが

そんなの滅多に見かけないと思う

つか、コード規約パラノイア的な物を禁止するほど厳密な規約作っちゃたら

コード規約を覚えるだけで一苦労の超大作になって誰にも従ってもらえない

問題が起こったときに誰かを責める根拠の為だけの規約になる気がするよ

http://anond.hatelabo.jp/20081230060237

インド洋給油問題でも小沢は「そんなことより自衛隊アフガニスタン派遣しろ」としつこく言ってる。サマワと違ってあちこちでドンパチやってて参加国で軒並み死人が出まくってる場所に、ろくな法整備もなしに突っ込ませて、よっぽど小沢自衛隊に恨みでもあるんだろうな。

あと、民主政権政党になったら確実に外国人参政権問題が顕在化する。公式サイトにも明記されてるし、この件では民団と何度も何度もヒアリングやってる。小沢韓国に渡航した時は「一日も早く実現させなければならない」とやる気満々。同じ賛成派の公明政権に合流したらもう手遅れ(民主過去公明と合同で10回以上も改正案を提出した仲)。国籍法改正の時よろしくマスコミが完全スルーでほとんどの国民が知らないうちに成立してしまうだろう。未だに岡崎トミ子みたいなのも党の要職に就いてるし。

おまけに小沢本人に首相を務める気はサラサラないときてる。院政敷いて政権何代にもわたって影響力行使する気満々で、そもそも激務に耐えられるような健康状態でもないしな。

経済政策ドングリの背比べなら、それ以外の分野で比較するしか無い。

押井守インタビュー2004年

midnighteye.comより。

雨宮ねいさんがチラ見してくれたようなので脊椎反射してしまいました。

みなさん、よいお年を!

押井守 インタビュー 2004. 9. 23

ニコラス・ルッカ(Nicolas Rucka)

様々な風景を見せるようになった日本アニメにおいて、押井守は彼独自の場所を築き上げるに至った。SFエンターテイメントという枠に捉えられる事もしばしばだが、彼の仕事はその要件を遙かに凌いでいる。押井ジャンルという括りに疑問を投げかけ、SFと現代の生活との間にまっさらリンクを構築してみせた。彼のこうした姿勢は、アニメーションという体裁の境界を拡張するアプローチスタイルと結びついている。それは「攻殻機動隊」のすばらしい続編である「イノセンス」に見てとれよう。

ルッカ: あなたの作品第二次世界大戦前後ヨーロッパの様式、とりわけ東側諸国の影響が大きいかと思います。それはどのように培われたのですか?そしてこれまでの作品で表現されてきたあなたの世界観にどのような位置を占めていますか?

押井: 若い頃からヨーロッパ映画を見て、楽しんできた。古典的で、古いスタイルの様式、雰囲気といった東ヨーロッパ的なものは静謐で美しく、そしてノスタルジックで、ひどくそそられたね。

ルッカ: もうちょっと続けますけど、あなたの映画で言及される70年代終わりから80年代にかけての欧米サイバーパンク小説映画ウイリアムギブソンの「ニューロマンサー」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」などは日本の街並み、風景、そしてテクノロジーの影響を強く受けています。で質問なんですけど、こうした話法を引き続き採用するのか、それともより高位のゴールでこれら要素を取り入れるかって事なんですけど?

押井: 僕の作品サイバーパンクに分類される事が多いけど、個人的はそうじゃないと思う。「ブレードランナー」みたいに本当に楽しまされた映画があって、映画作りの上である程度役に立っている部分もあると思う。でも僕以外にもっと影響を受けている人ってたくさんいるんじゃないかな?人間サイボーグを題材にした映画を作るなら、「ブレードランナー」にふれないわけにはいかない。このテーマに関する先駆けだからね。こうした話法を採用するか、それともしないのかなんだけど、僕のゴールは未だかつて誰も見た事のない新しい映画を作る事だからね。それは「イノセンス」で証明できたと思ってる。

ルッカ: あなたの作品、とりわけ「アヴァロン」なんですけど、タルコフスキーを偲ばせる要素が多く見受けられる。そうした影響は?

押井: 今はそうでもないけど、昔はすごい好きだった。でも「ストーカー」や「惑星ソラリス」、「鏡」は今でも好きだね。

ルッカ: 押井さん、これは私見なんですけど、犬との交わりを人間より優先させているかと。こうした傾向は主題的化身の選択、それとも人間という形態はもはや必要ではないという人間意識のあり方のどちらと結びついています?

押井: 僕個人的には犬との結びつきを優先させる。でもそれは人によってまちまちだと思う。人間が「主体」の一部を失い出すと、己が何者かを知るために他の何かと関わらざるを得ない。それは僕のように犬だったり、猫や他の動物かもしれない。生き物である必要はない。機械、車、コンピュータ、街、自分以外だったら何でもいい。それが失われた「主体」を見つけ出すって事です。

ルッカ: 人類というあり方は時代遅れのものですか?もしくはそうなると?

押井: おっしゃりたい事に確信はもてないけど、間違いなく人類というあり方は失われつつある。動物は常に同じであったし、これから先も変わらない。でもテクノロジーの発展によって人類は常に変化するし、変化せざるを得ない。でも、変化や進化を恐れてはいけないし、それを受けいれ、共存する事を学ぶ必要があると思う。

ルッカ: 映画作りの際には何から手をつけますか?印象的なイメージ、本、音楽から着想します?まずは脚本から?

押井: 僕の頭の中には違ったアイデアがたくさんある。それをどうやって映画で生かすか、って事なんだよね。企画が来る頃にはすでに何かが頭の中にあるんだ。発想の多くは小説写真集に目を通したり、いろんなクリエイターと話す事によって生まれるけど、実際の具体的なアイデア映画の基礎といったものは作品作りの前に決まってるんだ。

ルッカ: スタッフはいつも一緒ですか?

押井: いつもって訳じゃないけど、だいたいそうだね。実写か、アニメかによるけど、中核となるグループはたいてい同じ。彼らは本当に才能があって、辛抱強いと思うし、あ、でもわがままで頑固だけどね、ぼくは十全の信頼をおいている。彼らがいなかったら、映画は絶対に作れない。

ルッカ: 制作準備にはどのくらいの時間をかけます?そこでは何を?

押井: 準備には1年。基本的には作品の行き先を定める。

ルッカ: 「イノセンス」では実際の制作、そして編集ははどれくらいかけました?

押井: 実際の制作には2年、編集が1年。全部で4年。

ルッカ: 創作について最も影響が大きかったのは?「イノセンス制作にあたって何を吹き込まれました?

押井: 我が愛するバセットハウンドガブリエルです。この映画は僕と僕の犬に関するものです。

http://anond.hatelabo.jp/20081229191810

愛せる人と家庭は、両立はできるけど別物なんじゃないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20081230135733

モジュール錬度と開発効率性ってそれほど相反するとも思えない。

よくできたモジュールにしておくと保守偏向や再利用もしやすく効率は上がるはず。

あと企業として集団で開発するときはオーソドックスコード規約に従っておくのが無難と思う。スキルの高くなくても仕事できるようにしないと池プログラマが欠けたとたん回らなくなってしまう。池プログラマはこのあたりわかってないのが多いという偏見がある。

http://anond.hatelabo.jp/20081230130954

俺のガキの頃は、ドラエもんが既にできてたぜ。

でも、途中で1世紀また未来になりやがったもんだから、

人の描く「未来」ってのは永遠に遠ざかっていくもんだって知った。

幸せ年賀状に対して不満を言う人・・・だから今不幸せなんじゃないのか?

■「のろけや自慢だらけの年賀状」(28歳/SE、27歳/貿易)

「旧年に結婚出産経験した友人からの年賀状は、もちろんカッコイイ旦那さんとカワイイ赤ちゃん写真入り。余白に書かれた『去年は大勢の方に結婚を祝福していただき、新婚旅行では●●に行きました。新居に引っ越してからは愛しい子を授かり、私たちは今とっても幸せです』というコメントには、正直ひいてしまった。私が長年付き合っていた彼にフられたことを知っているのに……。ひがみかな?」

たまに、自分は一人身なのに夫婦写真とか子供写真とかが書かれた年賀状とか幸せそうな内容が書かれた年賀状が送られてきたらイラってくるって話をしている人がいるけど…

どうして友人・知人の幸せを素直に祝ってあげられないのかな?

って、そういうひがみっぽい、妬みっぽい感情が多いから、幸せをつかめないんじゃ…って思う。

http://anond.hatelabo.jp/20081230121732

「私はお前をそんな子に育てたつもりはない」

そんな言葉を、幼稚園保育園児でさえも思いつかない親が沢山いる。

いわく、預けている時間が長いから、自分と同じ、それ以上に接している相手に責任があるそうだ。

なら、あなたは親である必要があるのだろうか。

高校生相手に、思わずそう言ってしまった言葉は重い。

なぜなら、もうずっとずっと長く、他人の干渉を受けているからだ。

けれど、その言葉が口をついたあなたは、子供がいくつになっても、立派な「親」だ。

親とは、立派な育児教育ができた人間の事を言うのではない。

親である自覚を捨てないで子どもと接する事ができる人間を親と呼ぶのだ。

http://anond.hatelabo.jp/20081230125529

そうだな。増田にまできているような人間はもれなくそうだなw

http://anond.hatelabo.jp/20081230120627

GUIをグイグイ作りたかったらしょうがないよねっつって

http://anond.hatelabo.jp/20081230135733

完璧超人ならば、どういう手順で仕上げてもいいよね。

優秀な奴がうらやましいぜ。

カプセル化は常に真ではない

開発効率性を重要視するか、モジュールとしての錬度を重要視するのか、それが問題だ。ここで一つの提案をする。

開発途上において、どの変数を private にすべきで、どの変数に getter が必要で、どの変数に setter が必要で、

どの関数を private にすべきなのかを悩んでいては、本当に重要なところ、つまりアルゴリズム時間をかけられない。

まずは、アジャイルプロトタイピングをするのだ。その時にカプセル化に頭を悩ますのは良い方法ではない。

コードでやることが決まった後、それをモジュールライブラリとして完成度をあげるリファクタリングの段階で、

カプセル化クラス関数名、関数の再利用性について頭を悩ますのが効率が良い。

ただし、イケプログラマに限る。

ダメプログラマにやらせると、アジャイルプロトタイピングの段階で、全ての処理が1つの関数に書いてあるなどということになりうる。

類似の処理がほぼコピペということになりうる。リファクタリングの作業が、もはやリファクタリングではなく、リストラチューリングになりうる。

http://anond.hatelabo.jp/20081230131339

俺が悪かった。土下座して謝る

許してくださいヒイイイイイイイイイイイイイイ!!!!

2008年、山に消えた人を振り返る。

旅行から帰ってきて、山で遭難が相次いでいるニュースを見てびっくりしている。

そういえば、2008年自分名前を知っている山ヤが相次いで山で亡くなった年だった。

GW前に五龍で亡くなった、山岳スキーヤー新井裕己さん

これまで何度も修羅場をくぐり抜けてきたのを見ていただけに「まさか」という感じだった。

晩年はますます過激な嗜好に走っていたから

「いつかあいつは死ぬ」と、白馬に通うスキーヤーの間ではささやかれていたみたいだけど。

そして、年末中央アルプスで遭難した森啓さん、

東北朝日連峰で遭難した「わらじの仲間」の矢本和彦さん

二人とも、スキーを使って長い間山に入る、ってことをされていて

「あそこまではいけなくても、いつかは」とひそかに意識していた人たちだ。

記録を読んで(こちらが一方的にではあるけれど)憧れている人が

山に呑まれてしまうのをニュース越しに見ていると

続きはどうなっているんだ、と気になって浮き足立つ気持ちを抑えられず

自分ってやつはどうしようもない野次馬なのだ、と卑下したくなってくる。

そして山に入ってアクシデントに見舞われ身体の一部を動かせなくなったけど

自力で病院にたどり着いて

年末をこうして家でネットしながら過ごしている自分

運がよかったのかもしれないな、と思う。

少なくとも、山に行けずに静養している間

知り合いのブログで山の記録がアップされるのを読んで

自分を「不運」だと嘆くのは、そろそろやめにしたい。

http://anond.hatelabo.jp/20081230121732

自分が面倒見られないところでは自由にさせて、その代り責任を自覚させようよ。

「この意識の植えつけ方を間違った覚えはない」ってことだろ

つまり、「なんで自分責任負えないようなことをしたんだ、そんな無責任人間に育てた覚えはない」や

「もし○○になったらどう責任取るんだ、そんな自覚のない人間に育てた覚えはない」と叱り付けるわけだ

行為自体ではなく、高校よりもっと前に築き上げられるべき根幹部分、

無責任なことをして周りに迷惑をかけない」という意識が欠如していることについて叱っているのだろう

つまりはそこの意識を修正しろってことだ

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